タマル

レザボア・ドッグスのタマルのレビュー・感想・評価

レザボア・ドッグス(1992年製作の映画)
4.3
タラちゃんに関しては、ダラダラ会話をストーリーと関わりのないものと捉える向きがあるけれど、私は本作とか「パルプフィクション」とかに限ってはそうでないと思う。 具体的には、現代劇かつマフィアやギャングのような隔絶していながらも地続きの存在に限ってのみ、そのダラダラ会話は演出として効果を上げている。

本作はいわゆる「非線形タイムライン」の物語で、ジャンルは「チーム強奪もの」。しかし、強奪シーンは映されず、会話によって徐々に詳細が明らかになっていく。 この会話の部分が不思議とリアリティがあって面白いのだ。明らかに本筋から逸脱しているのに。
なぜこんなことが起きるか。
無駄話、つまり終わりのない日常会話の延長線に非日常的暴力の影が潜んでいるからだ。だから面白い。ふとした一言がトリガーになって暴力へとなだれ込んでいきそうで目が離せない。
日常と非日常の皮膜。だから、タラちゃんの時代物でのダラダラ会話はつまらない。非日常が非日常における日常(もどき)を喋っていても、芝居がかった不自然さだけが際立つのみだ。

また、本作の逸脱した会話を眺めるにつけ、「アドリブ」という単語が頭に浮かんだ。もちろん、本作のダラダラ会話がアドリブだと言いたいわけではない(そうかもしれないが)。
今の日本映画界では勘違いされたままに浸透していて腹立たしいのだが、アドリブとは役者の素を覗かせることではない。キャラクターへの深い理解から、どうしても既定された箇所を突き破ってしまう演技がアドリブである。それは統合されているストーリーの整合性を揺るがしてしまう歪みを生みかねない。しかし、其処には異質なリアリティ、意識を引き込む緊張感が生まれることもある。

タラちゃんのダラダラ会話は人工的アドリブ演出としての面白さとも言えるのかもしれない。だとすれば、本作は見事にそれを成功させていると思う。
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