「機動戦士ZガンダムⅢ-星の鼓動は愛」
劇場公開していた当時、友人と新宿で鑑賞。
「はぁ。やっぱりなぁ…」
「まぁそんな事だろうとは思ったけどなぁ。」
「ガンダムを否定し続けた冨野監督の答えはこれか…」
「才能枯れ果てたな。」
こんな事話しながら居酒屋でヤケ酒したなぁ〜
好きな映画、楽しい映画ってなんですかね?
観客が観たいシーンや展開に応えるのも、一つのやり方やと思うけど、観客の考えや期待を裏切る、上回る事をするのもやり方。
しかし。「原作(過去のテレビ版)と違うラスト」なんてアピールしておいて、観客の予想の範疇バリバリだった展開…
唸らせる事何一つない着地だとどうなるのか。
監督は「Zガンダム」テレビ放送していた当時、色々な事があって、「Zガンダム」にはヤケクソ的に当時の心境を込めたと聞いた。そんな事を知らない当時のファンは普通にZガンダムを観て、主人公が辿る結末に心打たれたもんよ!
心と体を捧げ、戦いに勝利した代償…
最終決戦における、激戦の中で死にゆく人々。
前作の「機動戦士ガンダム」とはまた違うラスト。今も昔もグッとくるもんよ…
確かに、劇場版前2作より新作カットも増え、迫力や詳細は上がってるけど、やっぱり名セリフや本筋には、今作のようなアレンジは必要ないんよ。
「新しい解釈」で作り直す、等で動き出すと、どうしても「新しく変える」事に執着してまうんかな…
一度は完成している作品に手を入れる事は容易い事じゃない、商業的にも成功させなければならない、という中で、「ファンが観たかったもの」、「この劇場版三部作から観る方に伝えたいもの」をちゃんと表現しているのか成功しているのか…?
その「改変」はファンに伝わりますか?
ファン以外の方に対して、所属軍や戦艦、地名、人物名のテロップも一切出ない、ナレーション入りの説明部分もない事はどーなんですか?
Zガンダムを知らない「りょーこさん」には、まずこの劇場版三作目を観せて…後半のある地点でいきなりストップ!
そしてテレビ版の49話「生命散って」、最終話50話「宇宙(そら)を駆ける」を観せた。こんなストーリーのガンダムもあったんだよ。この出来事からシャアはネオジオン総帥になり、「逆襲のシャア」へと展開するんだよと説明。
そして、途中で止めた劇場版三作目を最後まで観せた。
どーだい?そりゃ劇場鑑賞後にヤケ酒もしたくなるやろwwwとね。
小学生の頃、毎週のテレビ放送を楽しみにしていた「Zガンダム」。当時も今も、心にチクリとくる、哀愁含む感情を持って思いだされる作品であります。
プラモデルやゲームでZガンダムを知り、観てみたいと思う方はテレビ版50話より劇場版三部作を観るだろう。
この劇場版三部作にも、もちろん良さはある。しかし、当時「Zガンダム」に触れた時の気持ちを実感するには、やはりテレビ版なんやなぁと毎回思ってしまう。
「君は刻の涙を見る」。テレビ版の予告を締めくくる言葉。
心に染みるんですよねぇ。