KnightsofOdessa

クリスティーン(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

クリスティーン(原題)(2016年製作の映画)
4.5
[全米初公開の…自殺です] 90点

1974年7月15日。テレビ史上最も衝撃的な事件の一つが起こる。生放送中にキャスターが拳銃自殺したのだ。彼女の名前はクリスティーン・チャバック、当時29歳の女性キャスターだった。物語は彼女の日常生活から幕を開ける。スタジオで一人フィルムを回しながらインタビューの練習をし、放送の直前になって使うフィルムの変更を指示するなど仕事には非常に熱心で、多少無茶をすることもあるが同僚との仲も良好だ。しかし同時に、いくつかの問題も抱えている。視聴率のために"犯罪"を求める上司と地元の人々との関わり合いを重視したいクリスティーンは頻繁に対立している。本人はストレスのせいと気にしていないが腹部に原因不明の痛みがある。そして、同僚のジョージに仄かな恋心を抱いているが、同じチームの同僚という以上の関係性に発展させることが出来ない。彼女は他人との交流を求めながらも傷付くのを恐れて殻にこもっており、なにか嫌なことが起こっても吐き出すことも出来ずに溜め込むだけだ。その小爆発はリア充カップルのイチャイチャを目撃し、鬼の形相で突撃していくシーンに顕著。

本作品は悪に染まりきれず、孤独に飲み込まれてしまった『ナイトクローラー』のようだ。視聴率のために"血"を求める上司に理想的なネタを提供してボルチモアへの昇進を勝ち取ろうとしているクリスティーンにとって、自身の意志にそぐわないそれらの取材は彼女の心を削っていく。加えて、休みの日には子供たちに読み聞かせをするほど子供が好きなのに、自身の体では子供が産めなくなる可能性があり、友人は仕事の同僚しかいないので知り合いに合えば仕事の話をして息抜きにもならないし、唯一の理解者だった母親は新しい恋人を連れてきて慣れ親しんだ環境が一変してしまう。本来なら誰でも持っているであろうこれらの些細な問題も、削られた心を徐々に侵食して破壊するには十分すぎた。

以前どこかで"ハリウッドはレベッカ・ホールの使い方を間違えている"という記事を読んだことがある。その記事の中で正しい使い方をしたとして称賛されていたのが本作品だった。確かに、本作品は明白に彼女を"病気"扱いしないからこそ、ホールによる繊細な演技が重要になってくるし、彼女はクリスティーンが持っていたかもしれない不安と焦燥、そして強い意思を体現しており、それはアントニオ・カンポスがこれまで描いてきた"病的な人々の肖像"というテーマにも合致している。特に彼女のギンギラギンの目付きが素晴らしく、途中から今まで以上に内向的になって同僚たちを今にも殺しそうな目で眺めるシーンなんか"これがレベッカ・ホールか"という美しさすら感じてしまう。

本作品の最も印象的なシーンは、好きだったジョージに連れて行かれた自己啓発セミナーでやる羽目になった"YES, BUT..."ゲームだろう。片方のプレイヤーが質問をして、一度肯定した後で反論を展開し、自らの抱える問題を引き出すゲームだ。質問者はクリスティーンから"昇進したいし子供も欲しいが、両方は成立し得ない可能性が高い"という悩みを引き出し、それに対して"考えを調整するつもりはないの?"と返す。これがこの映画の全てだと思う。上司たちは彼女を含めた部下に考えを調整してほしかった、同僚たちは考えを調整して結果を出した、しかクリスティーンには譲れない部分があった。だからこそ彼女に出来る最後の抵抗として"自分を黙らせる"ことを"選んだ"のだ。