オールナイト上映にて。『友だちの恋人』と同時上映だったこともあり、ロメールにとって郊外とはどういう位置づけなのだろうと考えながら観ることになった。
彼の映画では毎回、都市(匿名性、偶然性、機会の多さ)↔︎田舎(記名性、必然性や運命性)という対立があり、ふだんパリを謳歌している女たちが、休暇となれば、パリに居残るのは恥とばかりにリゾートへ向かう。そのリゾートが描かれず、主人公ルイーズが郊外の家とパリの家を行き来するのがこの作品だ。
愛の物語であることは間違いないが、その後ろで静かに進行する郊外のアノミーも大きなテーマ。ロメールを観ていて、社会のことを強く意識したのは初めてだった。
毎度登場人物に院生やアカデミアが現れて、高学歴が多いなとは思っていた(でもみんなスニーカーやサンダルを履いているところがいいのだ)けど、『満月の夜』『友だちの恋人』では、それとは別に、「社会の部品として働くことに不満を抱く女」という人間像が定式化されている。前者のハイソな人々は因習的なもの(コミュニズムや恋愛)との摩擦から、後者の労働者は、因習的なものから切り離されてしまった現実との摩擦から、自分の中に亀裂を生じさせる。
ルイーズは街中で彼氏を目撃する。その後、本当に見たのか?と詰問され、「これが夢でなければね」と答える。一見なにも言っていないようなセリフだが、彼女にとって郊外の暮らしと都市での暮らしは互いに夢のようなもので、こういうセリフによって、トートロジー的に生活を描写するのは見事だなと感じた。
いろいろな映画を観る中で、「この主題なら別に小説でいいんじゃない?」と感じることが多々あるのだが、ロメールの場合は、たとえ主題がそうでも、冗長さを味方につけて、徹頭徹尾映画に仕立ててしまうところが不思議。面白かった。