大越

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版の大越のレビュー・感想・評価

5.0
光とは影のことであると言ったのはゲーテだったかそれとも日本の古語か。これほどまでに字幕が邪魔に感じる画面は初めてだった。字幕がわずかに細く光るその明かりさえ疎ましくなるほどに銀幕を覆う漆黒。光は正義だったし欲望だった。広汎に全てを照らす正義たる電球を壊した後、闇の中で頼りなく移ろう懐中電灯。欲望の視線は対象を真に捉えることはできない。

白眉はスタジオで小明が小四をオーディションに誘うシーン。小四の懐中電灯は小明を見失う。そして小四がその光をこちら(カメラ)に向けた瞬間=光が僕たちを照らした瞬間それまで漆黒に包まれていた劇場の中がパッと明るくなる。その瞬間僕らははたと気付く。僕らが今映画館の中にいて皆揃ってスクリーンに向かって座って見つめているこの場の不思議さを。僕らもまた小四と同じように映写機の光で小四達の世界を照らして覗いているということを。そして、欲望という名の光でもって暗闇の中に一つの虚構世界を創り出しているということを。その衝撃たるや、一つの映画作品が持ち得る威力の極北。
そこに確実にあるように思えても実際に触れることはできないただの錯覚(記号)のなかに溺れる私たち。劇場という構造(=世界の構造)そのものにまで言及する天才的な演出に脱帽。劇場で観なければいけない映画とはこういう映画のことを言うんだ。ただ音が大きいだけの映画とかどうでもええわ。

あと、俺が住みたいのはあの家だし俺が通いたかったのはあの学校だし俺が着たかったのはあの制服だし俺が登下校したかったのはあの道だし俺が飯を食いたいのはあの店だし俺が飲みたかったのはあのグラスに入ったお茶だし。俺の理想は60年代の台北だったんだ!
大越

大越