きえ

羊の木のきえのレビュー・感想・評価

羊の木(2018年製作の映画)
3.8
2017年の釜山国際映画祭でキム・ジソク賞を受賞。因みにこの賞は昨年のカンヌ国際映画祭出張中に急逝された同映画祭創設者の一人であるキム・ジソク氏の功績を敬い新設された賞。日本映画をこよなく愛し日本の名だたる映画人からも慕われた同氏の名の付く賞を初めて受賞した作品と言う事でとても注目していた。

そして…

結果としては納得だった。見た方のスコアが全体的にあまり高くないのが残念だけど、日本風土と風習を上手く使ったこの一風変わったメイド・イン・ジャパンな寓話的スリラーは、なかなかに私を楽しませてくれた。全体のスコアが低いのは日本受けより海外受けしそうな作品だからかもしれない。

まずは何と言っても原作のアイデアが面白い。日本が抱える地方の過疎化問題と国家財政を圧迫する受刑者の扶養問題を結び付けた地域再生はなかなか斬新。

そこに土着信仰(のろろ様)、祭、生贄、罰当たりなどの神話的要素を融合させ、不穏な怖さと間の抜けた可笑しさを持った現代版日本昔話のような仕上がりになっている。音楽との連動もいい。

そしてこの作品最大の面白さは、仮釈放された元受刑者(しかも…)を6人も受け入れる事になった住民と、見てる観客の視点の違い。住民は彼等の素性を全く知らない。観客は知っている。ここから生まれるのは同じ物に対する見え方感じ方の違い、つまり偏見の有り無し。

果たして彼等は本当に異物なのだろうか?それは排除しようとする気持ちが生み出すレッテルなのではないのか?

観客は終始『偏見』の概念を試される。只者ではない6人ゆえに何か起きるんじゃないかと疑念(期待)が湧く。何かが起こればやっぱり…とか、きっとあの内の誰かが…とか、無意識に偏見に支配されている。『偏見で人を判断してはいけない』は正論だけど建前でもあり、そこから観客それぞれにサスペンスは生まれる。

そしてこの作品の大軸となるのは『再生』。タイトル『羊の木』は中世ヨーロッパで伝えられた伝説の植物『スレタイの羊』(後述*参照)から来ていて再生を意味している。

一度罪を犯した人間が地域の中で再生可能なのか?用意された『居場所』と『仕事』だけで再生出来るのか?

新たな土地に根付き芽を出す事をイメージして放たれた6匹のスレタイの羊達はそれぞれに物語を踏みながら綺麗事になり過ぎない明暗分かれる結末へと向かう。その6匹の面子は個性豊か。同じ罪とて動機も背景も全く違う。それぞれを僅かなシーンで紹介しながら物語に組み込んでいく無駄の無さはとても良かった。

ここで効いてくるのは松田龍平さんの不穏な存在感。飄々としたと言うのとも違う彼独特の空気感が偏見が齎すミステリーの起爆剤として機能してた。
ついでにキャスティングに触れると優香さんが物凄い体当たりで驚き!ちょっと引く絵面だった(笑)。女優として本気でやってくんだなと思ったけれど…

そしてこの物語では人間の研ぎ澄まされた本能の大切さを控えめながら説いている。人間には"肌で感じる感覚"がある。何かがおかしい、何か危険、近寄ってはいけない等。これは危険察知能力(自己防衛能力)であって偏見とは違う。偏見で人を見てはいけないけれど危険を察知するアンテナは常に立てておかねばならないとでも言うように…

そしてラストの"のろろ"の言い伝えを巡る月末と宮腰の対峙は、宮腰は神に我が身を委ね(断崖裁判)、月末は常に受け身で感情を隠しいい人であり続けた自分からの再生の瞬間だったのではないかと思う。

至って普通の人として登場する月末だけど、それは作られた"普通さ"であって、自らが能動的に生きる結果ではなく、心情を抑圧し欲望を抑え可もなく不可もない普通さの中に傷付かない居場所を作っていただけなのではないかと思える。想いを寄せるあやとの関係1つ取っても… 。結果、1番再生したかったのは他の誰でもなく月末自身だったのかもしれないなと。

表面的な再生(受刑者)の中に隠された再生(主人公)が構成されてる点はなかなか上手いなと思った。そして再生とはつまり『罪を憎んで人を憎まず』の考え方がベースだが、その中でも自滅し再生を遠ざけるのも人の愚かさであり、赦しと言う崇高さとセットで描かれてる点も綺麗事過ぎず良かったと思う。


*『スキタイの羊』
木綿を知らなかった中世ヨーロッパ人がそれを伝え聞いた際、羊毛の生える木を想像し生まれた伝説の植物。実が熟す迄放置しておけば羊が生まれると言われ再生を暗示させる。


鑑賞後時間経ってからのアップですみません。まだまだ見終わって書けてない作品が溜まってるので頑張ります。
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