ずどこんちょ

ムーンライトのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ムーンライト(2016年製作の映画)
3.3
アカデミー作品賞として選ばれた本作。
純粋に「愛」を描いたドラマだとして見ても、あまりにも淡々としていたように感じました。

劇的にドラマチックである必要もないのですが、個人的には映画は深く印象に残る展開やシーンがある方が好きです。
全体を通して画面の美しさや静かな印象は受けましたが、ゆったりした時間の流れがどうにも印象に残りづらい。

ある意味、ドラマというよりもシャロンの心の中のアルバムを除いているような感覚です。
物語は3部に分かれていて、児童期の「リトル」と呼ばれていたシャロンと、青年になったシャロンと、そして成人して「ブラック」と呼ばれるようになったシャロンが各チャプターごとに登場します。
綺麗な色合いのポスターで映し出されている3人です。
彼は児童期から青年に至るまでとても辛い思いを抱えて生きていました。
母親が薬物中毒であり、自分の性に違和感を感じているシャロンは学校では暴力的ないじめの標的にされています。
友達もおらず、家に帰っても寄り添ってくれる母親もいません。

そんなシャロンに声をかけてくれた数少ない人たちがいます。
家に帰れなかったシャロンを自宅に招いて寝泊まりさせてくれた売人のフアンとその恋人テレサ。シャロンが後に生き方から見た目まで影響を受けたのがフアンです。
ガリガリ君が一瞬でムキムキマッチョになったのは驚きました。もう見た目から車のインテリアに至るまでフアンそのもの。
ここまで憧れの人物に寄せているところを見せられると、なんだか小っ恥ずかしい気持ちになります。

フアンは第2章が開けると同時に既に亡くなってしまっているのですが、その事実については明らかにされません。しかし、シャロンが憧れた人物が早くに命を落としたことを考えると、どうしてもシャロンが同じ道を辿ってしまいそうで不安を感じさせます。

もう一人が、友人のケヴィンです。子供の頃からいじめられていたシャロンに唯一近付いて声をかけてくれていたケヴィン。ケヴィンは内気なシャロンと違って力強く、社交性も高い少年でした。
青年になっても変わらない距離感で近付いてくれるケヴィンに、シャロンは惹かれていきます。

黒人を描き、LGBTを描くというところはきっと意図的な工夫なのでしょうが、決してそういったメッセージの主張が強過ぎるわけでもなく、淡々と描かれています。
むしろ大事なポイントはそこではなく、そんな孤独なシャロンに「愛を与えてくれた人たち」がいて、「愛を知ったこと」に焦点を当てて描いているのです。
まさにシャロンの人生のアルバムを見返しているよう。
愛は知ってしまうと苦しく、満たされていると心地良い。
そんな誰しもが感じたことのある感情を描いているのです。

だから、ドラマチックな恋愛でもない普通の"誰か"の恋バナを聞くことに興味関心を持てない場合は、あまり乗り切ることができません。
個人的には、もう少しドラマチックな音楽や展開があると良かったなぁなどと物足りなさを感じてしまいました。
そんな私はこの時、作品賞を逃した『ラ・ラ・ランド』の方が印象に残って好きなのですから、仕方がないのです。タイプが違いすぎる。

ところで、そんな中でも印象的なセリフがありました。ケヴィンとシャロンが語り合っているシーンでのセリフです。

「お前は何に泣くんだ?」
「泣きすぎて自分が水滴になりそうだ」

シャロンの人生は真っ暗闇の夜空のよう。
そんなシャロンに差した一筋の月の光がケヴィンだったのです。