国分蓮

ムーンライトの国分蓮のレビュー・感想・評価

ムーンライト(2016年製作の映画)
4.8
【ドラッグ、いじめ、虐待、父親の不在など様々なマイノリティーを抱えて生きる男の切ない純愛メロドラマ。"リトル"ことシャロン少年の力強い眼差しと一途な想いに心を揺さぶられる】

この作品における各誌の評価はこうだ。

映画館を出るときには人生が変わっている。-ローリングストーン誌-

この映画こそが、我々が映画を観る理由なのだ。-ニューヨーク・タイムアウト誌-

いくら何でも言い過ぎだろうと、大袈裟だと思っていた。
鑑賞するまでは。

アカデミー賞最優秀作品賞という輝かしいビッグタイトルを受賞したことを抜きにしても、この作品から得られるものは多すぎる。
まず傑作という通俗的な言葉で表していいかわからない。自分などがやすやすと評価していいものか。もはや別次元に位置するものと言った方がいい。

何者かが、彼らが砂浜で佇む姿を月明かりのもとに照らし出している。
何者かが、彼の一挙手一投足を見つめている。
その第三者的な何かの存在を常に感じる。
欧米の方ならそれを"神"と言うかもしれない。

ただ言えることは、この作品は間違いなく映画史に刻まれる唯一無二のものであることに違いない。
観ているものの良心を試すような心臓を抉ってくる表現の数々。
登場人物にすんなりと感情移入することができる素晴らしいカットの数々。
そのせいか何の変哲もないシーンにまで目頭が熱くなってしまう。

具体的に印象に残ったところをネタバレなしで紹介すると、

・叙情的なピアノとバイオリンの旋律
海外のポスターにはThis is the story of a lifetime.というキャッチコピーが表記されている。
これは、生涯(一生)の物語である、と。
映画では幼少期、少年期、青年期の3つの時代に渡ってシャロンの成長を描いているが、音楽を聴いていると、もう既にシャロンが人生を全うしている上で初めから振り返っているようなそんな気がしてくる。
こんなことがあったんだよ、と。やはりここにも第三者の目線を感じざるを得ない。
サウンドトラックを聴いていると、リトルのテーマ、シャロンのテーマ、ブラックのテーマ、それぞれの時代を巧く表現していると思った。
例えばリトルの幼少期は同じメロディながらも高音主体で構成され、シャロンの少年期はややトーンを下げて落ち着いた旋律に、ブラックの青年期からはバイオリンが主体となり、もう一定の方向に向かってしまった感じがよく出ている。
音楽一つ見ても(聴いても)、とても効果的な使われ方をしていると思った。

・各々のキャストの演技力
アカデミー最優秀助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリばかりが注目されていますが、三つの時代のシャロン役の方々もかなり素晴らしい演技をしていると思います。自分が思うに全員がアカデミー賞レベル。ナオミ・ハリスだってヤク中の狂ってる母親役を上手く演じていましたし、ケヴィン役の方々も本当に良い友人役をこなしていたと思います。特にケヴィンは、幾多の苦労や困難を乗り越えて、穏やかで優しい、落ち着いた大人になった青年期も良かった。

・スローを使ったカメラ目線の効果的なアップショット

様々なシーンに散りばめられているスローのアップショット。このカットが訪れるたびに観客は画面に惹きつけられ、人間としての何かを試される。キャストはスクリーンのこちら側を見ている。何もかもが見透かされているようだ。

映画が好きな人は、なぜ映画を観るんだろう。
いろんなタイプがいると思う。
エンタテインメントとして楽しむ人や、何かを作品の中に見出して自分の生活、人生に活かす人など様々。
この作品は間違いなく後者の人にはグサりと刺さるものがあるのではないだろうか。
人生が変わった、とは調子の良い台詞は吐きたくないが、映画館を出た後で降っていた冷たい雨が優しく感じたぐらいだ。
ふと、音信不通になっていた旧友に連絡を取りたくなったし、家族は今何してるんだろうかとふと気になったりもした。
いや、これはそれだけ自分が普段多くのものを無視あるいは素通りしてしまってる証拠に他ならない…ただただ恥ずかしい。

映画で人は救われるなんて周りに言ったら失笑されるだろうが、内心自分は信じている。

「ムーンライト」はきちんと貴方の心の叫びに応えてくれる素晴らしい作品だ。

余談

久しぶりに「ブロークバックマウンテン」が観たくなりました。
国分蓮

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