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ムーンライトのmahのネタバレレビュー・内容・結末

ムーンライト(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

折角後半までレビューかいたのに消えました。涙を流しています。
そして「ネタバレ」をしないでレビューを書くのが目標だったのですが、今回はあまりに想いが募りすぎて断念。多少のネタバレあります。(大きなネタバレは避けたつもりです。というか、何がネタバレかわからなくなった。)




ムーンライト、素晴らしかった。いつもは映画を観た直後にその熱をここにぶつけるのだが、今回は1日寝かせてじっくりと考えてしまった。
アカデミー賞授賞式の段階でラ・ラ・ランドを鑑賞した直後だったので、問題の授賞式ではがっくりと肩を落とした記憶が新しい。
鑑賞した今、受賞の意味が理解できると共に、この作品が作品賞・助演男優賞を受賞したことへの価値をしっかり噛みしめることができる。


この映画のあらすじは「一人の少年が、自らのセクシュアリティに悩み、成長していく話」などと表現されるが、私は「少年の話」という一言だけで観たらすべてが分かると思う。

無駄のない、洗練されていて、とても繊細で触れたら壊れてしまいそうな作品。

幼少期、青年期、成人期という3部構成で、この時点で大変シンプル。そして主な登場人物は4人程度。セリフも決して多いわけではない。
その中で、我々が避けて通れない人種差別、貧困差、性差別を細かく表現している。我々が理解しなければならないものを、理解しようとするためのきっかけになってくれるはず。
なぜならば、この作品において直接的な表現は一切ないから。こちら側にどう理解するかを委ねている。だからこそ大変繊細で美しい。


一つの大きなテーマとなるセクシュアリティにおいても、この作品の中では一切断言などされていないのだ。
男、女、白人、黒人。カテゴリで分けられるから、その間に挟まった人々が苦悩するわけで。誰が誰を好きになろうと、問題ないのではないかな、と思う。好きになった人がたまたま同性でした、たったそれだけの話。私はそう理解しているので、だからこそ今回直接的な表現がないことに胸を打たれた。シャロンは劇中、自分が「ゲイ」だという自覚のある発言をしたわけでもなく、ただ、好きになった人が男性だった、それだけだった。(むしろその"好き”の直接表現すらない)

直接的な表現がないことが、何より心情のリアルさを底上げする。
成人期のケヴィンの店へ訪れ、自分の話をした後に無言で窓の外に流れる車を見るあの間の使い方、何より身近に、リアルに感じた。
リアルというと、幼少期のケヴィンとの取っ組み合いのシーンもだ。
シャロンの少し後ろに立って、彼の人生を覗くようなカメラワーク。息遣いがリアルだ。

ゆったりとした間の使い方、映像表現、セリフ、どれをとっても素晴らしい。
曖昧だからこその美しさが際立った。


冒頭の話だが、いじめられていたシャロンを見つけて声をかけたフアン。後々観て行くと、フアンもシャロンのような幼少期を過ごしたのではないかと感じる。だからこそ守りたくなったのだと。
海のシーンでフアンは「昔は俺も母親が嫌いだったが、今では恋しい」と言っていた。きっとその気持ちがシャロンの成人期では理解できているのではないか。その証拠にシャロンは自ら、母・ポーラに触れていた。


3部構成で出てくるそれぞれのシャロンが、本当に骨格から何からそっくりでとても驚いた。
特に目がそっくり。そして観終わってからようやくポスターの意味が理解できた。
細かいしぐさなども幼少期から成人期までしっかり引き継いでいて素晴らしかったし、青年期を演じるアシュトン・サンダースの儚い表情にグッと引き寄せられた。


LGBTや人種差別の話を少し上げたが、本質はそこではなく、愛することはどんな立場でも、相手が誰であろうと変わらないものである、ということ。
テレサの言う「我が家のルールは、愛と自信を持つこと」これにも通ずる。
そしてそれに改めて気づかされたわけである。


まだまだ1セクションずつ書いて行きたいくらいだが、熱が入りすぎているし、ネタバレしない主義の私としてどうなの!と思うばかりなのでこの辺でおしまい。ぜひ観た人の解釈を知りたいのでこれからレビュー漁ってきます。
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