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ムーンライトのumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

ムーンライト(2016年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

2016年に観た映画の中で、「完璧な作品だな」と思ったのは『ブルックリン』だったが、『ムーンライト』はそれを超える。完璧としか言いようがない作品だった。

物語は、少年期、青年期(高校)、大人期とに分けられ、それぞれ別の役者が演じるシャロンの人生が静かに綴られていく。

シャロンの境遇は悲惨だ。学校でも家庭でも居場所がなく、加害される存在。黒人であり、ゲイであり、貧困。しかし、これは悲惨な現実を描いた作品ではない。悲惨な境遇を描きつつ、人生に差し込む光を映し出した作品だ。

シャロンを守るフアンも、シャロンの行く道も清廉潔白なものではない。また、シャロンの母はどうしようもないが、悪ではない。『ムーンライト』では、そういった社会倫理について取り沙汰しない。

『ムーンライト』はシャロンという1人の男の人生を、丁寧に丁寧に照らしていく。たった数分、数秒の輝きが、いかに人生に大きな影響を与えるのか、悲惨な毎日に生きるパワーを与えるのか。誰かに受け入れられることが、どれほど大切なことなのか。そういったことを静かに淡々と語っていく。

フアンが「おかま」という言葉について説明した内容。フアンが泳ぎを教えてくれたこと(洗礼者ヨハネによる洗礼を彷彿とさせる名シーン)。フアンの恋人テレサの「私はあだ名ではなく本名で呼ぶ」というセリフ。テレサの「愛と尊厳がルール」という言葉。シャロンが恋い焦がれる友人ケヴィンの眼差し。

こういった些細な出来事のひとつひとつが、月光のようにシャロンの心を、人生を照らしていく。

意識的に青を散りばめた美しい映像や、
別人なのに同一人物に見える3人のシャロンたち。(特に大人期のシャロンは驚き。肉体のフォルムが全然違うのに、態度が同じ)自分の人生を何色に染めるかを決めるのは、自分自身だ。

映画が終わったとき、「これは私の物語だ」と強く思った。シャロンと私の境遇はまるで違うのに。最低限の説明と、計算しつくされた映像によって人生を普遍的に描きだした『ムーンライト』。大傑作。


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