ローズバッド

昼顔のローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

昼顔(2017年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます


ツッコミ待ちのコメディ。めっちゃ笑える!


こんな程度のペラペラの心の動きしか表現できないで、メインターゲットの奥様方は、キュンキュンするのか?エロい気持ちになるのか?と、つまらなく思っていた。
しかし途中で、本作が愛憎の深淵を描くような目的でないことに、やっと気が付いた。
これは、奥樣方の井戸端ガールズトークのネタになるよう、ボケをかましまくって、「ツッコミを入れてもらって完成する」企画なのだ。
それを理解してからは、脚本にも演出にも演技にもツッコミながら、鼻で笑いながら、ゲラゲラ楽しめた。
こんな目的の娯楽があるとは知らなかった。
昼ドラやリアリティ番組、他人の色恋にツッコミを入れて、キャッキャッと盛り上がる、ガールズトーク的な感性が必要なのだ。
そういうコミュニケーションの感性が欠落しているオッサンには、新鮮なエンタメで、嫌味や皮肉でなく、マジで勉強になった、観て良かった。

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明確に笑いを取りに来ているシーンも多数。
特に、伊藤歩の役柄は「私の前で結ばれなさい!オスとメスで生殖行為しなさい!」とか、無理心中事故後のかる〜い包帯姿とか、そんな状態でバス乗るんかい!とか、大ボケかましまくりで、ツッコミ甲斐がある。

とにかく、心理描写がペラペラすぎて、思わず笑ってしまう。
そもそも、不倫愛憎劇を描くにあたって、誰でもキャスティングしていいとしたら、「上戸彩」を選ぶ監督なんているわけがない。
(例えば、安藤サクラだったら、超ドロドロ・超エロエロの本物の愛憎が描けるだろう)
上戸彩の顔・表情・身体・動き、何ひとつエロティックな所がない。
なぜなら、一面的な感情しか表現できない容姿であり、才能だからだ。
「今、オロオロしてます」「今、ソワソワしてます」など、単純明快で説明的な演技。
イチャイチャ場面で見せる、憂いの無い、元気ハツラツな笑顔は、まさにCM用の顔、超一流CMタレントの真骨頂。
要するに、映画には向いていない。
遺体安置室で半狂乱になるシーンなど、ペラペラ演技すぎて、めっちゃオモロイ。

斎藤工、伊藤歩、黒沢あすか、など他の役者たちも物足りない。
監督の演出が不充分なのだろう。
それぞれの心の動きに、キュンキュン・ウズウズしてもらう「お話」の意図が、「演出」に表れていない。
特に「再会を望んでしまう・触れたくても触れられない・疑ってしまう」など「心の距離」の微細な変化が表現出来ていないから、エロティックじゃない。
表情・声色・身体の距離などに宿らせることが出来ていないのだ。

しかし逆に、「演出」を軽薄にとどめる事が、「お話」へのツッコミを呼び込みやすいように機能していて、結果、ツッコまれてヒットして、つまり大成功している。
この軽薄なバランス感覚は、意図しているものだと思う。
不倫や愛憎を描くことで、心の深淵を探ろうなんて気は、さらさら無いのだ。
話が展開すること自体が、ボケであり、観客のツッコミを待っている。
一種のコメディ映画だと考える方が良いだろう。

劇伴音楽の使い方もダサ過ぎて、ギャグを高める効果てきめんだ。

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脚本の構造は「象徴」を用いるテクニックが非常に巧みだ。

蛍というモチーフが「魅惑的な恋」「セックスを求める」「命の灯」と変化しながら、最初から最後まで繋がれていく。
踏切のライトが2匹の蛍として上戸彩の目に映るところなど、面白いアイデアだ。

無理心中の先に見える花火と、盆踊りのカットバック。
「死」と「祭」が、花火という一点で散っていく構成も、教科書のように巧い。
ただし、「祭」=「生・性」の場にいる上戸彩の顔には、本当にただ単に楽しそうなニュアンスしか宿らないのが、やはりCM女王で笑ってしまう。

脚本全体の構成は巧いのだが、各々のシーンの台詞や演出や演技に重層的なニュアンスが無く、二重・三重の「感情の裏側」を感じないため、ドキッとさせるものが、まるで無い。

そんな中で、ホラー映画的なアイデアを使った一瞬の映像表現が効いているシーンが幾つかある。
上戸彩のテーブルの上の手に、背後の死角から手が重なってくるエロ夢想カット。
斎藤工がカーテンを開けると、窓ガラスに背後からジッと見つめる妻が映っているカット。
伊藤歩がベランダの手すりに足をかけると、洗濯物のシーツに姿が隠れ、はためいた瞬間には姿が消えているカット。
これらは、ホラー的な演出で心を揺さぶろうとする秀逸なアイデアだ。