せーじ

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章のせーじのレビュー・感想・評価

1.5
183本目。

地獄めぐりツアーは、某ラジオ番組のなんとかハスラーみたいに「酷そうな作品に自分から突撃して文句をこねる」のが目的ではなく、あくまでも「世間では評判が悪いとされている作品を敢えて鑑賞して、何が良くないのかを考察していく」ことが目的です(言い方を変えただけじゃねぇかと言われそうですが)。自分にとって「何が良いのか(良くないのか)」を言語化していくというのは、感想を書くうえで重要な要素のうちの一つだと思うのです。しかし、そうした作品を選んでいると、ついつい前者みたいな当たり屋的な発想にすり替わりがちになってしまうというのも難しいところでもあります。

そこで選んだのが、この作品。

実は自分、コンテンツとして「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズにはほとんど触れたことがありません。コミックも読み通したことは無いですし、アニメーションも未見です。リアルタイムで連載されていた頃から、常に他の連載の横で「あ、やってるなー。でもなんだか難しそうだし、最初から読まないとわからなそうだし…」と思いながら読むのを除けていた代表格の作品のひとつでした。
―そんな自分でも、果たして楽しめるのか。
原作ファンではない客観的な視点から見てこの作品はどうなのか、を見極めるために借りてみた次第でございます。
一応念のため、wikipediaのあらすじと、映画に登場する主な登場人物の項目だけは読んでから、鑑賞をさせて頂きました。
その結果…



…う~ん…
結論から言ってしまうと、一本の映画として観ても訳の分からない展開がてんこもりで、まったく上手く出来ていない作品なのではないかと思ってしまいました。

まず、海外ロケをする必要は無かったのではないかと思います。普通に日本の仙台市とかで撮った方がよかったのではないでしょうか。
そもそも仗助や虹村兄弟の髪型は、昭和のツッパリをオマージュしたものですよね?だったらそっち方面の設定に寄せた方が、わかりやすかったのではないかなぁと思うのです。いいじゃないですか「昭和っぽいヤンキーやツッパリがまだ生息しているかもしれない地方都市」という設定で。それにロケーションにこだわった割に、バトルをする場所は室内がほとんどで、良さを活かしきれていない気がしました。
そしてやっぱり、設定を説明するセリフが全体的に非常に多いです。
説明ゼリフが多くなってしまうのは、複雑な設定を持つ原作を映像化するうえで致し方がないことではあるとは思うのですが、画やアクションで語ることが出来ていないのはもちろん、説明ゼリフをそうと感じさせない工夫も中途半端に思えてしまいました。仗助の祖父が抱いていた想いを、彼のお母さんが彼に説明しはじめたのにはさすがにげんなりとしてしまいます。
もちろん、例によっての邦画特有のオーバーアクションで叫んだり、無駄なスローモーションをガンガン入れてくるような演出はキッチリとやってくれちゃっています。
しかも、そのどれもが中途半端なんですよね。
もともと原作はオノマトペを多用した独特のセリフ回しが特徴でもあるんですけど、そういうカブいた感じではなく、普通の映画の演出で終わってしまっているので、とても平板な演出に見えてしまいます。

また、特に後半の展開が非常に鈍重でしかもよくわからなかったです。
そもそもなぜ仗助達はあの館に行くことになったのでしょう。
例えば虹村兄弟が康一をさらって仗助をおびき出すとか、そういう最低限のロジックを張ることすらしないんですよね。で、康一が矢に刺されてからも延々と長い説明ゼリフを多用しながらバトルが続いていくので、展開自体が鈍重ですし、その間に康一がヤバいとかのタイムサスペンス的な要素も入れないので、何を見ているんだろう…と思ってしまいます。
それに、バトル上の勝ち負けの理屈や助ける助けない(助かる助からない)という理屈も、なんだか判然としません。ただ起きた出来事だけがポンポンと劇中に放り投げられているだけで、何処をどうすればそういう事になるのかというロジックが全く構築されていないのです。
「原作を翻案する気が無い」というのは、この手の映画作品においては非常に腰の引けた、かつ致命的な要素だと思います。

色々と書いてきましたが、どういう部分に入れなくてもいい力を入れ、どういう部分がおろそかになっているのかがこれほどハッキリしている作品は、あまり無いのではないかなぁと思ってしまいます。作り手が考えたであろうその方針は、間違っていると言わざるを得ません。

第二章から先、制作されるんですかね。
小松菜奈さん演じる由花子の不気味さはそれなりに良かったので、彼女がスタンドを操る姿は観てみたいのですけど…ね。
原作は時間がある時に漫喫で一気読みしたいと思います。
せーじ

せーじ