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スウィート17モンスターのこーたのレビュー・感想・評価

スウィート17モンスター(2016年製作の映画)
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17歳は人生のふち(Edge)だ。
この世に「世界」はひとつしかなくて、ネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)はそのへりでひっそりと生きている。
ひとに好かれる方法が彼女にはわからないし、好きなひととどう接したらいいかなんて、もっとわからない。ブスで口も悪い自分は最低の人間で、大嫌い。自分自身の愛し方もわからない。
「世界」の中心では、バカだけどうまくやっていける、兄貴(ブレイク・ジェンナー)みたいな「勝ち組」の連中が幅を利かせている。
こんな不公平な世界ははやく滅亡してほしい、と彼女は願っているけれど、そんな願いが聞き入れられることはもちろんない(彼女は神にすら愛されていない)。
どころか、勝ち組の連中が世界を押し広げる圧力は、ネイディーンのささやかな世界にまで押し入ってきて、彼女を崖っぷちへと追いやる。17歳の女の子の小さな世界が、他人の世界と衝突する。

ふちに立たされて、ネイディーンははじめて気づく。「世界」はひとつではないということを。
いまいる場所が境界である、ということは、その外側にも世界が広がっている、ということを意味する。
そとに別の世界が広がっているからこそ、そこがへり(Edge)だとわかるのだ。
だれかの世界と衝突する、ということは、他人にも「世界」がある、ということを意味する。
悩みなんてなにもない、無敵の「勝ち組」だと思っていた兄貴にも、兄貴の世界があって、そこで苦しみながら生きている。
苦しんでいるのはわたしだけじゃない、と気づくとき、彼女の世界は相対化される。
唯一絶対だと信じていた世界が、じつは無数にあるということが、他者と対峙してはじめてわかる。
相手の世界を知ることで、そのひとのことが好きになる。
相手の世界を知ることは、自分の世界を知ることでもある。
自分の世界を知ることで、自分のことがちょっとだけ好きになる。
この世界がいままでと違ってみえてくる。

映画とは相対化である。
ネイディーンの悩みが、苦しみが、わたしたちの中にもあるからこそ、ひとは映画に共感し、心を動かされる。
映画の世界が、わたしの世界にぴたりと重なり、わたしの世界まで相対化される。映画を観るまえとあとでは、世界が違ってみえてくる。
わたしが変化したことで、この世界まで変化する。
映画は世界を変える。
原題は、The Edge of Seventeen。この映画をみて、人生のふち(Edge)を軽やかに乗り越えよう!


補遺。
ネイディーンの良き理解者であり、友でもある教師ブルーナー(ウディ・ハレルソン)に助演男優賞を。あの先生なら、ネイディーンもきっと大丈夫だ!笑