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そうして私たちはプールに金魚を、のeyeのレビュー・感想・評価

3.8
時は2012年8月 夏の真っ只中

埼玉県は狭山市 人口15万の市

実在する入間川中学校のプールに400匹近い金魚が放たれていた実際の事件からインスパイアされた映画

事件の前日には学校周辺で祭りが行われていた

警察は当初何者かが祭りで売れ残って余った金魚を離したと想定していた

が、実際は中3女子による犯行だった

女子生徒たちは

>「金魚が好きだったのでもらったが、多すぎて飼えず、プールに放した」

と動機について言及している

映画では

「キレイだろうな、と思って……」

という動機になっている

監督は「ウィーアーリトルゾンビーズ」の長久允(ながひさ まこと)監督

第33回サンダンス映画祭(アメリカ ユタ州パークシティ)ショートフィルム部門で日本初のグランプリ受賞した作品

映画は様々なシーンの私情感満載コラージュ構成になっている

カラオケや部活、ボーリング、アイス、他愛のない雑談シーンや語り口のシーンで展開していく

数々のシーンで何気ない日々の風景に潜む心の根底に抱えきれない退屈で鬱屈した『閉塞感』が描かれている

狭山市(町)に対する息が詰まり続ける強烈な絶望感と否定感

そこに属する中、ポジティブでもなく何にもなれない自分への不安、苛立ち、絶望感

『制服』という記号に当てはめられて同じ町、同じ学校で生活し、発散しきれない鬱屈が根底に存在し続けている

戦争を期待すること

両親が死ぬこと

町が爆破しないか期待すること

とにかく非日常を体験したい思いに駆られている

彼女達は「平和 is 退屈」と表現し、「つまらない」を前提に捉えている

言うならば生きながらにして死んでいる『ゾンビ』

埼玉という海のない町にプールを引き合いに出し

実際にプールに解放したのは『金魚』

だけど 本当の意味でプールに解放したのは

『自分達の意識』

プールが自分の置かれた『世界』のメタファーでそこでは(金魚 aka 自分が)自由に放たれることでキレイに見えると思った

結果フタを開けてみると……

真っ暗闇の中で金魚は埋もれて決してキレイに見えることはなかった

彼女達は非日常感を自分達の手で作り出した

自分達の意識は僅かながら解放された

結局「意味を求めても意味はなく何も変わらない」という意識のまま他愛のない日常は続く

ここでバッサリ映画は終わる
 
私は衝動感については10代・20代の特権だと思ってる(犯罪を推奨してるのではなく、あくまで衝動感)

思春期特有のとにかく何かにイライラした感じを表現した今作は凄いと考えてる

映画のラストで高らかに歌われる南沙織の「17才」の歌詞

「私は今 生きている」

この一言に集約される映画だった
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