マイケル・ジャクソンの実質的ソロ・デビューアルバム『オフ・ザ・ウォール』(1979年)の、デラックス・エディション(’15年リマスター)の特典映像として封入されていた作品です。
なんでこんなレアな素材がフィルマの対象になっているかというと、監督しているのがスパイク・リーだからでしょう。
このドキュメンタリーは、大きく3つのパートに分けて構成されています。
① 『ドリームガールズ』でも描かれていたソウルやR&Bの名門、モータウン・レコードから兄弟グループ”ジャクソン5”でデビューした時代
② モータウンから独立し、”ジャクソンズ”としてグループ独自の音楽を模索する時代
③ グループから離れ、”マイケル・ジャクソン”として実質的なソロ・アルバムを制作するまで
①のモータウン時代は、世間(主に白人社会)がイメージする黒人像を体現しなければなりませんでした。
社会風刺を行なわない”安全”な歌詞、いかにも”黒人”なファッション(アフロやベルボトム)、楽曲もジャクソン兄弟のオリジナルは許されず、レーベルから提供される”無難な”ものばかりでした。
②の時代は、自由を求めてレーベルを移籍するも”ジャクソン5”という名称は使えず、”ジャクソンズ”と改名します(能年玲奈→のん…のケースと同じです)。
ここでもグループ独自の楽曲は中々発表できませんでしたが、徐々にアルバム内にオリジナルの占める割合が増えてきます。
③ そして満を持して(兄弟の許しも得て)マイケルは個人で追求したい音楽を求めて、実質的なソロ・アルバムへと突き進んでいきます。
ここで描かれる①→②→③の過程は、黒人が市民権を得て、徐々に差別が解消され、解放されていく道のりと重なります。
マイケルのような特別の存在は、無意識的にせよ、時代の一歩先をリードするというか、体現してしまうのかもしれません。
ここにこそ、リーが製作・監督した意義というか、意味があるのでしょう。
さらにこの過程は、
①組織の中の一員
↓
②家族の中のひとり
↓
③ソロとして独立
…という、ニンゲンが”個”として自立・解放されていく道のりでもあります。
本作の中で、あるミュージシャンがマイケルの「ア~」とか「オゥ!」という叫び声について、
「あれは、自由への雄たけびなんだ」
と語っています。
21世紀に『アナと雪の女王』が”ありのままに~♪”と唄うはるか前に、マイケルは自由への産声を上げていたのです。
ただしこれは、だからマイケルはエラい…という話ではなくて、黒人の解放の方が、女性のそれよりも先行していた…ということなのでしょう。
黒人の大統領は実現(オバマ)してますけど、女性の場合はまだですもんね。
”『アナ雪』以降”の時代には、女性版のマイケルのような存在が求められているのでしょう。
そのジャンヌ・ダルクは、ビヨンセか、それともレディ・ガガなのでしょうか。