塚本

結婚の条件の塚本のレビュー・感想・評価

結婚の条件(1988年製作の映画)
3.6
ジョン・ヒューズの…青春モノでなく大人のお話です。と言ってもそこはジョン・ヒューズ。大人になり切れない男が主人公の作品であります。
若くして結婚したジェイクとクリスティ。クリスティの方は妻という役割を自家薬籠中のものとし、家庭にしっかり根を張りますが、ジェイクの方はというと、まるで下手な役者が演じるが如くに”大人”になろうと、日々悪戦苦闘しております。
男とは本来、”逃げたがる”生き物なのです。現実問題から目を背けず安定を求める女性とは逆で、男は生来のひ弱さを隠すために、強さとかマッチョという男性としての性を誇示し続けることで”逃げる”というネガティヴなイメージを払拭しようとしてきたんですね。
かつての銀幕の英雄だったジョン・ウェインもS・マックイーンも”男のロマン”という大義名分を背負って結局は根を張ることからにげることしかできないマッチョ達だったのだと思います。

強い男を演じることすら失笑を買うような今の時代はどうでしょうか。
かくいう俺も高校生の頃、未だ見ぬ社会の威容に怖じ気づき、一生モラトリアム宣言を密やかに謳ったものでした。取り敢えず進学、取り敢えずやりたいことが見つかるまでフリーター…

自由を求めてバイクを駆ったマックイーンや筏でミシシッピを下ったハックルベリーのように颯爽とはしていなくとも逃げ口上だけ一丁前だったようです。
しかしそんなぬるま湯に満たされた棺桶に一生居座り続けるわけにもいかないのは自明の理ですよね。
無理矢理、首根っこをつかまれて引きずり出された俺は逃げる間もなく就職が決まって、あろうことか結婚まで決まってしまいます。傍目からは社会人の普遍的な道を歩んでいるような、いわゆる「フォントサイズ11・明朝体」で印刷された人生。

それでも絶えず「いやいや、これは何かの間違いでして、無理矢理に役を振られただけなんです…」と呟き続けるわけです。

「結婚の条件」のジェイクも自由を求めて空想の”理想の女性”を妄想します。
コレ、男はみんなやってますな。イマジナリーフレンドならぬイマジナリーラバー。
どぶろっくのネタはネタじゃないんですな。本当に男はバカなんです。

…そして、その日は唐突にやってきます。
いえいえ、まだまだ俺にとっては「その日」ではありません。
妻が身篭ったと聞かされたときも「フォントサイズ11・明朝体」人生の中に添付された分厚いトリセツ付きのスペシャル・オプションくらいにしか思っていませんでした。

…「結婚の条件」のジェイクは、分娩室での母子を見てイマジナリーラバーと決別し、本当の大人になっていくことを示唆して映画は終わりますが、それは絶対に違うと、心から叫んじゃいます。全てはそこから始まるのだ、と。

2001年7月11日。初めての対面から14年…正直言って逃げの体勢は取り続けたままの14年間だったと思います。共働きでは育児も対等です。
それを俺はシステマチックに淡々とこなしていきましたが、メンタルな部分、情操的な教育は放棄してきたように思います。
ここでは子供に対する想いや家族からの恩恵などは書かないでおきます。それこそ「明朝体」人生のありふれたコトバでしか表現出来ないでしょう。でもそのありふれたコトバでこの14年でやっと手にした確信をひとつだけ書きたいです。「子供たちの両親は俺と妻だけだ。」ってこれだけです。
今のお父さんたちはタバコを吸うこともゆるされず、逃げ場所をどんどん追われているように思われます。それでも俺たちはかつて憧憬の的であったヒーローたちより悪戦苦闘しています。逃げ場所を失ったんじゃなく、逃げることを放棄した男たちに乾杯!
塚本

塚本