とても好きな映画だったなぁ。
本名を捨てて複数の偽名を使って生活する男。
これは、僕で言うところの「しゃび」のように、オンラインでハンドルネームを使うのとは話が違う。なぜならば、本名を故意に偽っているからだ。
要するに「欺くための演技」をしている。
この映画は演ずるということが一つのキーワードになっている。演技をして過去の自分から逃げようとする男と、演技をしても自分が分からないという女子高生。
僕たちは各コミュニティの要請に応じて、多かれ少なかれ何かを演じている。演じていない時の方が少ないので、演技と素の自分の境目が分からなくもなっている。
そう考えると、おそらく演技も含めて自分なのだろう。
しかし「演じなければいけない」という役割意識が強くなればなる程、自分の「心」が分からなくなってくる。そう思うと、演技や嘘や勘違いにまみれた、彼らの関係の方がよほど本質的に思えてくる。
2人は「諦めていたものを探す」行為をしているからだ。
さて冒頭にも書いたが、
僕はこの映画すごく好きだった。
全てのシーンが思い出のように心にとまった。
自転車・ボート・喫茶店・お祭り・閑散とした借家。その画面画面とその繋ぎ目にいちいち愛着が湧いてくる。2人とノスタルジーを共有するかのように。
人以外を強く印象付けられる映画は素晴らしい。
そして、人もちゃんといい。
何より駒井蓮の表情の物語の豊かさよ。
彼女の悲しみ・迷い・孤独・束の間の安心が、その表情を通して僕の感情の中に入り込んでくる。
なんだか酔った言い回しになってしまったけど、要するに駒井蓮が良かった。この人のことを知らなかったので他のも観てみたいな。
定食屋でのやりとりに涙が止まらなかった。
「私はあなたを受け止めます。」
という意思表示がどれだけ人の心を救うだろう。