SatoshiFujiwara

鳥類学者のSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

鳥類学者(2016年製作の映画)
4.3
TIFF2016

大寺眞輔が激賞していたのでまんまと乗せられて『鳥類学者』。なんですかねこりゃあ。

パドヴァの聖アントニウスの話は多少なりとも知ってはいたし、魚に説教するアントニウスなのに(実際映画内ではフェルナンドが魚に話し掛けるシーンがあるが)「鳥類学者」なのはもしかすると別の有名な聖人アッシジのフランチェスコが小鳥に説教したからそれらのハイブリッドなのかと思いもする。

途中で出てくる聾唖の男の名は「Jesus」で彼はフェルナンドに殺されるが、最後にはその兄弟として同じ役者が「トマス」(むろんイエスの使徒だ)で登場する。聖書ではトマスはイエスの復活を信じなかったため、イエスの脇腹の傷に手を差し込んで確かめるが、本作ではフェルナンドが同じことをする。

フェルナンドは「キリストを殺した」のだが、これを契機になぜか映画はシュールレアリスティックな色彩を濃くしていき、最後には聖アントニウスに「転生」する(指紋を焼くのがその徴だ。転生後のアントニウスは監督自身が演じている)。ある種のビルドゥングスロマンとも言えるが、究極の罪からの聖人への転生はあまりに急展開であり、そもそも聖アントニウス=フェルナンドがなぜキリストを殺すのかも分からない。天狗(!)を被った邪悪な集団やら冒頭に登場してフェルナンドを縛り付け予言する2人の中国娘はなんなのか。後者はいわば『マクベス』の魔女のようなものか。

しかし、そんな理屈は大して重要じゃない。とにかく豊かな映画なのだ。川。鳥。魚。雨。空。血。火。性愛。裸体。聾唖の男。脚に変な機械を付けた中国娘2人組の片割れ(こんな森の中で生脚まる出しでさまよう訳はねえだろうに、と思っていたら次の瞬間に怪我をして出血。このための生脚だ。これをもう1人が舐めるのが実にエロティック)。自然も生物も全部。その汎神論的なイメージの換気力には惚れ惚れする他ない。観ているとーいや、観ると言うよりも体感する、という形容が相応しいー名状し難い何ものかが体内に湧き上がって満ちていく(音がまた見事である)。映画=自然と観客、彼我の境が溶解していくかのよう。最後の意外な展開(いきなりパドヴァにいるのだ)と軽さもまた素敵だし。

難解との意見もあるようで事実俺も恐れていたが、それに及ばず。「考えるな、感じろ。」(ブルース・リー『燃えよドラゴン』)。これはぜひ一般公開して欲しい。映画祭でやる映画に必ずしも買い手がつかないのは当然にて、気になる映画で危なそうなものは映画祭で観ておくのが吉(ということ以外にも、公開されるにせよこういういわゆる「ミニシアター系」はTOHOシネマズのような大画面による立派な映画館で必ずしもかからないので、その意味でもTIFFはおすすめですね。余談ですが)。

※終映後に監督ジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ(実質的な共同監督)のトーク(大寺さん司会)。「これは西部劇として撮った」(ロドリゲス監督)。ホドロフスキーの『エル・トポ』かはたまたグラウベル・ローシャの『アントニオ・ダス・モルテス』みたいな、さしずめイメージごった煮のバロック的異色西部劇、か。そういうことなんですね。観念的ではちっともないのは西部劇だからなんですよ。
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