青いむーみん

サーミの血の青いむーみんのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
4.0
 全く存在すら知らなかったヨーロッパの差別の歴史。この事実を世に放つことがこの映画の意義であるとするならば確かに受け取らせていただきました。

 老年のエレ・マリャ以外のサーミの出演者は全て本物である。当然少女エレ・マリャもだ。あの芝居は驚異的だ。物語に沿おう、自分はエレ・マリャという人物であろう、としている様相は一切ない。自分で自分の再現VTRを撮っているような感覚なんだろうか?
 「あなた達の民族は脳が小さく、現代社会に適応できないという研究結果が出ている」これ程の侮辱、屈辱はないだろう。この言葉を本人に吐けるというのは「自分はひどい人間ではない。ただ事実を伝えただけで、それが彼女達の民族にとって有益である」と信じて疑わないようなおめでたい人物と考えてしまうが、それが普通とされる時代があったのだ。いや今でもあるだろう。物語は主人公に感情移入するように作られる。我々は現実ではその主人公の敵であったりするわけだが、こうやって当事者に入り込むと現実の我々は悪魔だったりする。そうやって人と人の相互の思いを知ってもなかなかどうしてお互いを思いやり分かち合うことはできない。されども、こういう映画は必ず必要だ。我々は前に進むために再認識しないといけない。
 ただ、サーミの血を誇りに生きている人達を蔑ろにするエレ・マリャは外の人間と同じである。外の人間になりたかった彼女はそんなところまで侵されてしまっても本望だったのだろうか?老年の彼女は少女時代と全く変わらずサーミを忌避していたが、そこに悲しみはないのだろうか?そして自分のアイデンティティを捨ててまで外の人間になった彼女は本当になりたかった教師になれたのだろうか?
 奇しくも同日に観た「望郷」もテーマは同じで考えさせられてしまった。が、その後観た別の映画で吹っ飛んでしまった。それはまた別の話。

 一つだけ気になった点が。教室で非人間としての扱いを受け、裸で写真を撮られるシーンでエレ・マリャは窓側を気にしていたのだが、研究者?政府の者?と揉み合ったあと窓側へ身体を向けて回していくのは失敗ではないか?やけになったのかと思ったけどその後そういう展開はなかったし。小さいところだけどちょっとこの世界から解脱しそうになってしまった部分だった。