ベルサイユ製麺

サーミの血のベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
3.9
スウェーデン。現代。
年老いた、しかし射抜くような眼光鋭い女性クリスティーナ。息子や孫娘達に付き添われ、ラップランドへ。妹の葬儀に参列する為に。
しかし地元の、“サーミ人”の老人達の冷たい視線、居心地の悪さに耐えかね、葬儀半ば妹の死顔を見ることもなくさっさと引き揚げてしまう。…もともと気乗りはしていなかった。
妹の名はニェンナ。サーミ人。クリスティーナのかつての名はエレ・マリャ。何十年も前、自らサーミ人である事を棄てた。

…自分がレビューを書くのに一番向いてない傾向の作品です。ふざける気力も湧かない。

冒頭のクリスティーナのシーンから、物語はエレ・マリャがサーミ人として過ごした少女時代の回想に。エレ・マリャは寄宿学校で“サーミ人”としての心得を一から叩き込まれます。
自分は恥ずかしながら、“ラップランド”“サーミ族”は単語としてしか知らなくて、なんとなくのイメージで〈伝統を守る優美で気高い民族〉なのだろうと、思い込んでいたのですが…。
近代のスウェーデンに於いてのサーミ族は“原住民”。不潔で下等な民族で有ると認識されていたようなのです。ただ歩いているだけで罵倒され、研究資料として当たり前のように全裸の写真を撮られる。能力が低い“筈”なので進学は出来ない…。
エレ・マリャが“普通の”スウェーデン人の様に暮らしたいと望み、踠き、挫折する様が繰り返し繰り返し描かれます。これが本当に辛い。個人的に一番心が痛めつけられるシチュエーションです。
生まれた場所が違うだけで、人生が決まる。社会から、国から全てを決定付けられる。隔離され、自由と考える気力を奪われる。
ほんとに何処にでも有りやがるんだな、この構造。激しく気が滅入ります。人間に生まれついただけで、それらの行為に加担してるみたいな気分で消えたくなります。

最後のシークエンス。再び、現代のパート。クリスティーナが妹の亡骸に掛ける、至ってシンプルな言葉が切なすぎる。分かるけど、なんでだよって思う。誰が、何が、こんな事言わせるんだよって。

この作品、楽しいと感じるシーンは殆どないと思います。風景や伝統的な装束の美しさも、まるで底冷えする様な雰囲気に撮られているみたいに感じます。だから、誰にでも観て欲しいとは言いづらいのですが…。
例えば何か、自分の立ち位置の根本に関わる決断をする時、或いはその結果に心を痛める時、世界中にあなたと同じ思いをし、永く続く闘争を生き抜いている人が居る、という事実に勇気づけられるのではないかと思います。

…なんともボンヤリしてますね。申し訳ない…。
素晴らしい作品です。それはもう間違いないですが。