愛鳥家ハチ

サーミの血の愛鳥家ハチのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
3.5
スカンディナビア半島の先住民族サーミ人の少女が受ける抑圧とそこからの逃避を描く物語。本作の時代設定とされる1930年代には、スウェーデン政府はサーミ人に対して隔離政策をとり、子供たちも公立学校から排除していたとのこと(注1)。作中の先住民族に対する露骨な、あるいは無自覚な蔑みや、先住民族研究の名のもとにサーミ人の人権が不当に侵害される様は観ていて心が痛くなります。特に身体検査のシーンは目に余るものがありました。

ーー渇望
 映画評論家の村山匡一郎氏によれば、本作主人公のエレ・マリャには、「自らの出自への誇りと偏見による恥辱が混ざり合った感情、その反動としてのスウェーデン人への憧れ。その根底には自由に生きることへの渇望が見てとれ」るとしています(注2)。先住民族の文化、生活様式、生業を維持することも、新たな生き方を模索することも、それらの選択は個人の自由な意思によるよるべきで、サーミ人を外野が決めた民族の枠内に押し込めてよい筈はありません。エレ・マリャが自由を渇望することは当然と言うべきでしょう。

ーー反動
 ただ、上記の「スウェーデン人への憧れ」とは、サーミ人への偏見ゆえに生じた「反動」であるとの指摘はまさにその通りで、エレ・マリャが"スウェーデン人の都市的な生活"を選び取ろうとする動機自体が、不当な偏見によって引き起こされてしまっています。その結果、エレ・マリャはサーミ人の社会を抜け出さなければ、スウェーデン人のような暮らしは出来ないと思い至ってしまうわけです。"サーミ人"か"スウェーデン人(の暮らし)"かという二者択一を迫られるのは余りにも酷といえます。

ーー調和
 "全か無か"ではなく、サーミ人のアイデンティティを保ったまま、スウェーデン人の文化を取り入れ、伝統と革新の調和を図るといった選択肢もあり得る筈で、異なる文化同士が互いの良い面を吸収し合うというのが本来のあるべき姿なのだと思います。それが当時容易ではなかった理由は種々あろうかと思いますが、その一つはサーミ人への偏見であったことは本作の内容が示す通りです。

ーー時代
 そうした偏見は今は消え去っていると信じたいですが、当時の偏見の蔓延を、単に「そういう時代だったから」と"時代のせい"にして片付けてしまって良いものではないことは確かです。当時を現代と断絶した時代として眺めるのではなく、どこででも、どの時代でもそうした偏見の蔓延は生じ得ることを意識すべきであると、本作は伝えてくれているのではないでしょうか。

(注1) https://style.nikkei.com/article/DGXKZO21368050R20C17A9BE0P01/ (2020/09/26閲覧)
(注2) 同上
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