TOSHI

立ち去った女のTOSHIのレビュー・感想・評価

立ち去った女(2016年製作の映画)
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かつての「ぴあ」のような情報誌もなく、鑑賞する映画を、フィルマークスの上映中の映画で上位表示されている作品だけで決めていると、観るべき作品を見落としがちだ。本作もそんな、見逃して後悔していた作品だったが、レンタルになっていた。見逃したのは、単館上映である事に加えて、フィリピンの“怪物的映画作家”ことラヴ・ディアス監督をよく知らなかったからでもあるが、作品の上映時間が凄まじく長いために映画祭でしか上映されず、本作は“異例の”劇場サイズの作品だった事もあり、日本で初めての作品公開となったのだった。劇場サイズと言っても、3時間48分である。ベネチア映画祭・金獅子賞受賞で、キネマ旬報ベストテン5位の作品だ。

冒頭、農作業をする女性達が映されるが、陰影が強調されたモノクロームの映像が鮮烈だ。殺人の重罪で無期懲役になっていた、元教師のホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、受刑者達に読み書きを教えているが、獄中での親友でもあるペトラ(シャマイン・センテネラ・ブエンカミノ)が、本のある箇所になると先に進めなくなる。魂の救済について触れられた部分で、本作のテーマが象徴されている。
ホラシアはある日突然、刑務所長から釈放を告げられる。かつての恋人で彼女の結婚を快く思っていなかった元恋人・ロドリゴ(マイケル・デ・メサ)により冤罪が企てられたことを告白し、殺人の実行犯だったペトラが自殺したのだった。
30年ぶりに出所し、一変した外の様子に戸惑うホラシアは、家に着く頃には疲労困憊だ。一家離散の悲痛な現状に対峙する姿に、心を抉られる。そしてホラシアの中で、一つの想いが強まる。事件の黒幕・ロドリゴへの復讐である。
彼女は現在は裕福になっているらしい、ロドリゴを探す旅に出るが、道中に出会う様々な人々が強い印象を残す。生まれつきの病いのため疎まれながら教会へ通う、物乞いの女性。夜の裏通りでアヒルの卵を売り大家族を養う初老の男性。ボロ小屋に暮らす親子。暴行されボロボロの状態でホラシアに助けられる女装の踊り子・ホランダ(ジョン・ロイド・クルズ)。ホランダは、性同一性障害である事が分かる。経済状況が悪化するフィリピンで、淘汰されそうな人々である。復讐のどす黒い感情に支配されている筈のホラシアの、出会った人々に接する優しい態度が対照的で、感情を揺さぶられる。この矛盾する善悪の要素の共存こそが、人間の本質なのだと思う。
ロドリゴの居場所を突き止めてからの、卵売りの男の隣に座りながら邸宅の様子を窺い、暗闇から人が浮かび上がる度に、ロドリゴではないかと思わせる場面等のサスペンスフルな演出も秀逸だ。やがて、ホラシアがホランダとの暮らしに幸せを感じ始めた頃、恩返しをしたいホランダによって、皮肉な結末が訪れる…。
劇中、二度引用される「漆黒の塔」という散文詩が印象的だが、嘘をつき通して悔やんだまま死んでいった人と、嘘がバレて断罪された人とではどちらが救われたといえるのか、答えの出ない問いかけに打ちのめされた。

モノクロで、新興国の殺伐とした風景の中で展開される、シンプルなストーリーでありながら、カラーよりも雄弁に感じる、光と陰の対比による魔術的な映像でグイグイと引き込まれ、全く飽きず長さも感じなかった。クローズアップや説明的なカット・セリフもなく、映像の力のみで物語る、映画そのものとしか言いようがない凄い作品だ。まさに魂が震えると感じる瞬間が、何度かあった。現在主流であるアトラクションのような、全編クライマックス的なエンタメ作品(私がそういう映画を殆ど観ない事は、お気付きだろう)の対極にある、深く重い本物の映画である。
改めてこの圧倒的な映像美こそ、映画館で体感すべきだったと後悔した。公開時に休憩はなかったようなので、DVD観賞には、常人には殆ど無理な、4時間近い尿意の我慢に挑まなくても良いメリットはあったが(笑)。次にディアス監督の作品が上映される際には、是非劇場で鑑賞したい。