chiakihayashi

苦い銭のchiakihayashiのレビュー・感想・評価

苦い銭(2016年製作の映画)
3.6
@試写

『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』の著者・山田泰司によると中国は「都市戸籍を持つ4億人が農民戸籍を持つ9億人から搾取するといういびつな構造を持つ」という。(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/258513/111600056/?P=1 ただし現在の中国の人口は14億人に近い。山田泰司の『苦い銭』評はhttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/258513/112200057/?P=1)。

「農民工」とは農村から都市への出稼ぎ労働者のこと。本作の舞台は上海から西へ約150キロ、住民の80%が出稼ぎ労働者だという浙江省の湖州市。衣類加工工場−−−−英語で言えばsweat-shop(低賃金・悪条件の工場で「汗」と「スウェット」と呼ばれる衣料品をかけている)−−−−が集積し、日本の100円ショップの品物のほとんどがそこから輸入されている巨大な雑貨卸売市場もある。

スウェット・ショップと言えば、最近でもトルコ・イスタンブールでZARAの店舗で買い物をした客が「私はあなたが買おうとしているこのアイテムを作りましたが、賃金を払ってもらえません」と書いたタグを見つけたというニュースがあったばかり(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171106-00010009-jisin-soci)。

また、アメリカのウォルマートなどで安売りをされているジーンズがどのようなキツイ労働によって生産されているかを撮ったドキュメンタリー『女工哀歌(エレジー)』(2005年)もあった。こちらは四川省から広東省のジーンズ縫製工場に出稼ぎに来て、出来上がった1本のジーンズからひたすら余計な糸くずをハサミで切り取る16歳の少女を中心に、納期に間に合わせるために徹夜をさせられることもあれば、一部屋に二段ベッドで12人もギュウ詰めにされた寮の生活などを、スイスに生まれイスラエルに育ち、アメリカ国籍も持っているというミカ・X・ペレド監督が「中国では労働運動が禁止されていますが、私たちはリスクを侵しながらも手伝ってくれる労働者たちの地下組織的なネットワークに助けられながら撮影を進めた」というもの。第一世界の消費者に向けて、あなたが手に取るそのジーンズは中国の10代の少女たちの辛苦の産物なのだと知らせるという明確に政治的な意図を持ちつつ、人間的でフェアな姿勢で撮られた作品だった。

『女工哀歌(エレジー)』が〝他者〟の視線によるものであったのに対し、本作はほとんど下請けのような家内工業的個人経営のいくつかの現場でさまざまな人々の〝流れゆくこと〟(ワン・ビン監督のことば)を、可能な限り内在的に追ってゆこうとしている。

プレス資料に、同監督の『鉄西区』に感銘を受け、中国に留学し、2年間の語学研修を経て北京電影学院に入学、監督科を卒業、本作の撮影スタッフを務めた前田佳孝さんのインタビューが載っている。ワン・ビン監督は「フレーミングのセンスが天才的」だという。「そしてフレームの中だけではなくて、現場における空間把握力と人物の次の動きを予測する力がとにかく凄いです。だからこそワン・ビンの映画は、カメラが動いている間の時間も生きている。パンしてる間も生き生きしてる。死んでいる時間がないんです」。

その彼がワン・ビン監督から言われたのは、“まずはフィックスで動かずに撮り続けろ”“何も起こらなくても心配するな。そこでは必ず何かが起こっている。フィックスでもフレーム外の内容が入ってくる”・・・・・・。

このワン・ビン監督の眼差す力は確かに凄い。「苦い銭を稼ぎにいくんだ」と故郷を後にした農民工たちは、過酷な労働に疲れ、置かれた環境に困惑し、状況よりも自分自身に失望してヤケになる。若くて単純労働に今は意気軒昂にいそしむ女性たちにも、都会には躓きの石となるものがたくさん転がっている。彼女たち/彼らは日々、何を思い、何を考えているのか? 否、そもそも何かを考える力などを持ち合わせる余力などあるのか?−−−−たまたまハンナ・アーレント『責任と判断』を読んでいるためか、私などはすぐにそう想ってしまうのだけれど、ワン・ビン監督は「目にする限り、人生とは不毛です。幻想と失望に満たされた時代にあって、従順な人生を送るために、私たちはしばしば自分の気持ちさえ欺いているのです」と語っているにもかかわらず、根底には同胞への揺るぎない連帯の意志があるのだと想う。上記の指示のようにカメラを通して粘り強く見つめ続ける眼差しは、どこかの時点でその対象を寄り添うように肯定する性質をもたらすものでもあろうから。

ひるがえって、私たちは消費者としてファストファッションを手にするときに何かを考えているだろうか? 私たちが払う金額もまた〝苦い銭〟ではないのか? いや、そう言ったところでその苦さは比べものにもならないのだけれど。
chiakihayashi

chiakihayashi