ななし

魔法少女リリカルなのは Reflectionのななしのレビュー・感想・評価

3.5

「魔法少女リリカルなのは」とは、「頑固者に拳で言って聞かせる」物語である。

無印、続編の「魔法少女リリカルなのはA's」とも、どうしても叶えたい望みや願いを抱えた魔法使いたちがおり、彼女たちはそのために他者を傷つけることを厭わない。

シリーズを通しての主人公である高町なのはは、そんな魔法使いたちを説得し、止めようとする。目的は手段を正当化しない。その信念でもって、白き魔法少女は、己の正義を追求する。

当然、願いを叶えたい魔法使いたちと白き魔法少女は対立する。
なのはの言葉は彼女たちに届かず、ただ、むなしく響く。

そんなときに、なのははやむをえず、頑固者たちに拳で言って聞かせるわけである。話を聞いてもらうために。

これが本シリーズの基本的な流れである。
なぜ、毎度お約束のようにおなじ構成をとるのか。
ここに、作者の信念や哲学が垣間見えてくる。

正義の反対はもうひとつの正義。

「魔法少女リリカルなのは」は、この哲学を徹底的に突き詰めたがゆえに、アニメ史に残る傑作になりえたように思う。

また、その哲学がギリギリの臨界点に達したのが、シリーズ2作目の『魔法少女リリカルなのはA's』であり、だからこそ、この作品はいまでもシリーズ最高傑作といわれているのだろう。

戦闘シーンが無印にくらべて、大幅に増えた。
だからこそ、「A's」はおもしろい。たしかに、この意見はまちがってはいない。
たしかに映像的なスペクタクルは大幅に強化されたように思う。
でも、作品のキモはそこにはない。

むしろ、そこまでに積み上げた緻密な物語が大切なのである。
敵側の魔法使いたちのドラマを限界まで掘り下げる。
彼女たちには彼女たちののっぺきならない事情と守るべき正義があることを嫌というほど、語ってみせる。

当然、視聴者は彼女たちに感情移入をする。
そんな彼女たちの前に立ちはだかる正義の魔法少女・高町なのは。
まさに悪魔である。

ふたつの正義が臨界点を迎えて、ぶつかり合う結節点――それが本シリーズのバトルシーンである。

だからこそ、いくら景気のいい派手な魔法が飛び交おうとも、非常に切なく、哀しい物語であるのだ。

ひるがえって、本作、『魔法少女リリカルなのはReflection』。
つぎからつぎへと敵側のキャラクターが増えるものだから、すべてのキャラクターが描写不足になってしまっている。
なんというか、全然べつの惑星のもめごとを、なぜか地球に持ち込んでわーわーやっているように思える。これでは視聴者は冷めるだろう。

実際、映画前半、アミティエとキリエが言い争っている間に、なのはたちはぼーっと見守るという非常に間抜けな絵面が展開される。まさに置いてけぼりである。

また、なのは・フェイト・はやでのそっくりさんが敵として立ちはだかるが、そっくりさんであることの物語的な必然性がまったくなく、ただキャラデザと声優を使い回したいがための手抜きに思えてならない。

主人公たちのそっくりさんをキャラクターとして導入するなら、各キャラクターの鏡のような性格や戦闘スタイルになっているとか、やりようはいくらでもあると思うのだが。

しかも、味方は味方でたくさんいて、しかも、全員に一定の見せ場をもうけなければならないので、結果的に絵面は「全員リンチ」みたいになる。

映像は派手なので観られてしまうが、いろいろと雑な作品である。
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