この夏に実家で、クモの巣にからめとられた蝶を見ました。激しく暴れては一休みして、また全力で暴れだす。いくら足掻いてもクモの糸からは逃れられない。
いったいどのくらい足掻いていたのだろうか。綺麗だったその羽は、ほとんどが失われて、ボロボロになっていました。たとえクモの巣を抜け出したとしても、再び空を翔ぶことはできないでしょう。それでも、生にしがみつくように、自由を求めて必死で足掻くその姿は、生命力の雄々しさに溢れていて、つい目を奪われてしまいました。
助けようかと思いました。しかし、クモの巣から逃してやったとしても、ほどなくクモではない他の生き物に補食されてしまうのは明白でした。
傲慢な介在が、時には身勝手なお節介になることもある。残酷な気もしましたが、クモにだって生きる権利はあるように思えました。この世界はもともと残酷にできているのです。運命に抗う姿、その美しさに、ただ見とれてしまうばかりでした。今まで気にも留めていませんでしたが、この映画を観たら、なぜだか急に思い出しました。
なるほどゲット・アウトね
ずっと居心地が悪い
彼女の実家って怖いんだなって
一番怖かったのは全力失踪のところ
暗闇で向こうからダッシュしてきたら私だったら逃げるけどね。ダッシュで。
一見、ミスリードのようで、暗示のようにヒントが散りばめられてるからなるほど良くできてる。それが不安の正体なんでしょうね。
終盤の展開は、思い返せばいろいろと意味があることに気づきます。
特典映像の別バージョンのエンディングの方が良かったと思うのですが、やっぱりそんな人、いないよなぁ…