francois708

ロニートとエスティ 彼女たちの選択のfrancois708のレビュー・感想・評価

4.0
宗教は人を自由にするのだろうか。
倒れる前の最後の説教で、先代のラビは、自由意志こそが、天使と獣の中間にあって人を人たらしめると説く。
そのラビを追悼する終盤の説教で、後継ぎに指名されて説教をすることになったドヴィッドは、心の動揺を隠しきれない。
その前の日、妻のエスティに、「私に自由をください」と懇願された。そのエスティが、ロニートとともに聴衆の中にいる。

人を自由にするはずの宗教が、逆に人の自由を奪い窒息させる現実がある。戒律は厳しく、安息日にはあれもこれもしてはいけない、男と女は当然結婚して子を生むべきである、などなど。
全身黒ずくめで帽子も黒、ひげを生やした正統派ユダヤ教の男たちの威圧感は、人の自由を奪う宗教の力を見せつけるかのようである。
そこから自由になるために、かつて逃げだしたのがロニートで、いま彼女はエスティを連れて再び逃げようと彼女に提案している。
ドヴィッドはうわの空で、用意した原稿を棒読みするが、途中で読むのをやめて、ためらいつつも自分の言葉で語りはじめる。先代の説教を引用しつつ、最後には、君たちは自由なのだ、自由に生きるべきなのだ、と宣言するその言葉は、同時にエスティの選択を肯定するものだった。この一言を言うまでに、彼がどれほど思い悩んだことだろう。彼女が彼をを捨てて別の人生を歩むことを肯定するまでに。
同時に彼は、自分は後継ぎの器でなく、まだ未熟なのだから、と、後継者となることを辞退する。彼はもはや、自信をもって語ることができない。いままで信じてきた宗教と、人間の自由とのあいだに折り合いをつけられなくなった。
その後シナゴーグの外に出たドヴィッドを追って出てきたエスティをドヴィッドが抱きしめているところにロニートも姿を現すと、ドヴィッドが彼女を抱擁に招き入れて、三人で抱きあうところ、ドヴィッドの背中でロニートとエスティの指がからみあう場面が圧巻だった。
人目を避けてしのび逢うロニートとエスティのラブシーンが美しい。ロニート役のレイチェル・ワイズがプロデューサーも兼ねているようで、女性の視点から見た女性同性愛はこれほど美しいものなのか、と知る。我々は今まで、男性の視点からの女性同性愛ばかり見せられてきたのかもしれない。
エスティがいつもウィッグをかぶっているのは象徴的。はずすとあらわれるショートヘアはなかなかチャーミングなのだが、ユダヤ教のコミュニティのなかでは浮いてしまうのだろう。こうありたい自分をつねに覆い隠して生きることを強いられる息苦しさは、少し想像できる気がする。就活スーツとかね。
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