松井の天井直撃ホームラン

ロニートとエスティ 彼女たちの選択の松井の天井直撃ホームランのレビュー・感想・評価

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☆☆☆☆

〝 天使と獣、その中間に人間が居る 〟

映画の冒頭、神に仕えし者はその様に教えを説く。

小さな社会(地域)に於いて、その教えを敬虔に受けとめ守る者は《天使》となり。逆に道を踏み外し、誤った行動を取る人間は《獣=悪魔》への道を転げ落ちると教えているかの様に…。

ロニートは、そんな中にあって。自分の心に正直に、嘘をつかずに生きる選択をした女性。
一方エスティは、この土地を離れる事をしなかった女性。それだけに彼女の心は、ロニートと再会した瞬間に揺れ始める。

映画は、そんな2人が再会を果たすところから始まるのですが。観客に向けて2人の関係性や、この地域との関わり方等に対する説明は一切ない。
それだけに、前半から中盤にかけては。観客1人1人が、まるでミステリー映画を観ているかの様に、想像を膨らませて観る必要に迫られる。
そして中盤になると、その全貌が少しずつ見えて来る。
普通に親子確執のドラマとして観たならば。単なる不良娘が帰って来た…と言うだけで、特に目新しさはないのですが。コレに、宗教的な意味合いが入って来た場合どうかと言うと…。

《悪魔に魂を売った人間》と。その《悪魔の囁きに耳を傾ける女》を見つめる【閉鎖的社会】との軋轢…の図式の様な問題が浮かび上がって来る。

それだけに、2人の目線からスクリーンを眺めていると。この中盤から後半にかけての映画の流れは、1つの村社会全体で行う《魔女裁判》の様な様相になって来ます。
そんな社会だと、タバコ1本。ちょっとした髪型にさえ、侮蔑な眼が向けられてしまうのだ。

内容的な面で、人間の尊厳と宗教の矛盾に触れているだけに。神との存在を常に意識している(と思われる)欧米社会に於いて。この映画が評価を受けるのは難しいのでは?と思いますね。
でも、前作では。トランスジェンダーの男性(女性)の社会的な立ち位置を、絶妙な演出で魅せててくれた監督だけあって。宗教的な側面が強い内容にも関わらず、少なくとも不快な想いをさせない様な配慮はなされていた様に見えました。

ただ、そんな〝攻めた〟内容ではありつつも。映画は、全貌がわかり始める中盤から。前半で見られるミステリアスな面が、全くなくなって行くのは勿体ない気がしましたし。最後に2人が決める選択も、やはり(或る意味での宗教的に関する)配慮したからなのか?ちょっとだけ残念な思いでした。

…とは言え!

ワイズとマクアダムス。この2人のレイチェルによる絡みは、まさに眼福!眼福!でございましたよ〜(//∇//)
悪魔…じゃなかった、あくまでも男目線からの意見ですが。

2020年2月19日 恵比寿ガーデンシネマ/シアター1