じゃく

ロニートとエスティ 彼女たちの選択のじゃくのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

■演技 0.8

■ストーリー 0.9

■演出 0.7

■気づき 0.9

■個人的な思い入れ 0.8

合計 ★4.1

■感想

ここ最近見た中で、最も個人的な映画。

追記20200322

女性同士の恋愛の映画だと聞いて、なにはなくとも見に行ったら、映画全体が自分へのメッセージのように思えて、「とても個人的な映画だな」という感想に落ち着いた。

とても個人的、というのは、私が同性愛者で、そしてこの映画が同性愛について描いた映画だからじゃない。
私の人生におけるささやかなテーマが「思考停止しないこと」「当たり前を疑うこと」にあるからです。

それでも、最初はロニートに感情移入しながら見ていた。堅苦しいことは大嫌いだし、令和にもなって(2,3年くらい前の設定だろうけど)、まだ「人生に結婚ありき」と思ってる価値観にもうんざりするし、久々に会った好きな人はしおらしく男の隣に収まっているし、(どうやって彼女をここから連れ出せるだろう)(夢物語と分かりつつ)と、そう考えていると思う。

それに、ドヴィッドの態度にも中盤ではだいぶうんざりしていた。すぐ大声出すし、外では「うちの家庭では問題ありません」みたいな顔して勝手に物事を決めて進めようとして。

この映画が私にメッセージを与えてくれたのは、最後、そのドヴィッドが「決断」を見せてくれたところ。あそこで、彼の姿に殴られたような気持ちになった。

ロニートにもエスティにも自由を与え(もちろん自由は与えられるものではないけど)、そしてロニートを父親の確執から救い出そうとし、自分が学び仕えてきたユダヤ教の可能性をも広げようとする。
※ユダヤ教については何も知らないので、私がそう思っただけです。

天使でも獣でもなく、人間に与えられた自由と選択、そしてそこから導き出される決断を彼が率先して見せてくれたことで、彼女たちふたりも、しっかりと自分の道を選び取れたのだと思った。

あのコミュニティでは、
「女は結婚すれば苗字が変わり過去が失われる」
「そんなことはない」
という会話と、ロニートに対して、
「あなた自分の名前に誇りを持っていないの?」
という二つの会話が同居する。
誇りのある自分の名前が変わったら、それは過去が失われるというのに近いんじゃないんか、おい。と胸倉掴みたくなるような会話。

ユダヤ教の教えがあり、習慣があり、そのもとで暮らす人々は、果たしてその習慣が「なぜあるのか」「なぜそうなったのか」思い返したり、立ち止まって考えてみたりすることがあるんだろうか?
そしてそれは別に宗教関係なく、世の中にある全ての「当たり前」とされている出来事に対する問いかけにもなる。
その中でドヴィッドは、妻を友に奪われそうになる最中、自分が従い仕えてきた教えのなかで、思考停止せずに考えて、彼女たちに言葉を送った。

どんな状況でも、思考停止せずに当たり前を疑うことが、人を救うことに繋がるんだと、あらためて思い知らされた。

そういう意味では本当に、半径3メートル以内の映画だった。



それはそれとして、ロニートとエスティは出会った瞬間から何も止められてなかったし、少しも怯まずにお互いを求めあってて笑った。

ロニートがカメラマンだと知った瞬間「レズビアンのキャラにありがちな奴~~~~!」と思ったし、「たばこくわえた彼女のこと撮る奴~~~~~!」ってなって、とにかくあそこらへんは楽しくて笑いが止まらんかった。多分笑ってたの私だけだったんじゃないかな(声には出さなかったけど)。
じゃく

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