小

光の小のネタバレレビュー・内容・結末

(2016年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

原作の三浦しをんは「日常の中に潜む暴力を描きたかった」といい(リンク先参照)、この映画もそういうことなのかなとは思うものの、キャラクターに共感できない。だから人間の内面を描いている映画を期待したらホラーだった、みたいな感じがはじめの印象。
(http://renzaburo.jp/shinkan_list/temaemiso/081126_book03.html)

その後、ある映画(仮に「映画A」とする)を見たら、ちょっと切ない気持ちになって共感したのだけれど、よく考えてみると、本作と同様に、殺人者が大切に思っている人のために殺人してるじゃないかと。

何が違うのかといえば、映画Aでは、殺人者が殺人をする理由である大切に思っている人というのが可哀想な人なのに対し、本作では、殺人者は大切に思っている人を可哀想な人と思い込むのだけれど、観客には一番悪い奴じゃね?とバレバレであること。このため、本作の主人公はアホ男に見え、共感できない。

以下、ネタバレ満載のあらすじと、ちょっとだけ感想を。

本作の主人公で東京の離島・美浜島で暮らす信之は、幼馴染で唯一の同級生である美少女・美花と付き合っている。ある日、美花と待ち合わせをした場所で、信之は美花が男に犯されている姿を目撃し、美花を救うため男を殺してしまう。

つまり、信之にとって殺人は美花のためであり、美花は可哀想な少女なのだ。その夜、大災害が発生し、すべて消失してしまい、生き残ったのは美花、信之、信之を慕う年下の輔のほか、輔に暴力をふるう輔の父親などだけだった。そして信之にいつもくっついている輔は殺人を目撃し、死体の写真を撮っていた。

それから25年。市役所に勤務する信之は南海子という女性と結婚し娘と3人、一見、普通の家庭を築いている。しかし、信之は美花を忘れることができず、南海子も愛されていないと感じている。だから南海子は外に男をつくって、心のスキマを埋めてもらっている。

その外の男というのは、自分から南海子に近づいた輔だった。輔は貧しい生活をしていていることもあって、過去の殺人写真をネタに信之をゆすり、お金をせしめようと考える(本当は少年時代に暴力をふるう父親から守ってくれなかった信之に守ってもらいたかったのかもしれない。守ってもらうための手段が強迫という行為だったのかもしれない)。

そんな輔のもとに、少年時代虐待をした父親がやってくる。父は信之なんかゆすっても大してカネにならない、美花を脅迫しろと命令し、輔は従う。美花は過去を隠し、篠浦未喜という名前の女優になっていたのだ。

脅迫状が届いて困った美花は信之に何とかしてくれと頼む。信之は待ってましたとばかりに何とかしてしまう。コトが終わった後、美花のマネージャーから「利用されているだけだよ」とズバリ指摘されるけれど、信之は聞きたくないことには耳をかそうとしない。

信之は美花に、お前のために殺人をした、自分にはお前が必要だと迫るけれど、冷たくあしらわれる。そして美花から、島でのあの出来事は男に犯されていたわけではないという決定的な真実を突き付けられ、自分が勘違いヤローで、単なる殺人者だったことに直面し、打ちひしがれる。

ラストで信之の娘が、気が狂ったように「パパ、パパ」と繰り返すのは、もはやパパという立場よりも殺人者としての自分を自覚する信之の心理の裏返しなのかしらん。

少年時代、殺人を犯したのは美花のためではなく、美花に対する自分の欲望のためだったのだろう。そのことを無意識へと抑圧し、普通の生活を続けてきたけれど、抑圧した欲望は知らず知らず外界へとにじみ出て、妻の浮気の原因となり、次の殺人へとつながっていく。

『光』というタイトルについて、三浦しをんは<「人を暗いほうに導く光も、あるんじゃないかな」>と話しているけれど、信之にとっての光は美花であり、輔にとっての光は信之であったのではないか、と。

本作が人間の業を描いているとしたら、人は決して手に入れることのできない光を手に入れようとすると、とことん悪の道を突き進んでしまうものである、ということかもしれない。良く考えると、映画Aでも結局は同じことような気がするけれど、映画Aではこういうことは思いつかないだろうなあ。

●物語(50%×3.5):1.75
・よく考えるとこんな感じかなとは思うけれど、作文しなければ、変わった映画だったなあ、で終わってしまったかも。

●演技、演出(30%×3.5):1.05
・皆様、共感できない人の演技をしっかりと。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・月の光が印象的。音楽はちょっと変わっていたかも。耳障りになるのが狙いなのだろうか。
小