【連ドラでこそ輝く設定、映画版は残念ながら薄味のCURE】
これ、殺害を依頼した者のカルマがあぶり出されたり、殺害対象の真意を死亡後に知らされ絶望する、という話の見せ方が「笑ゥせぇるすまん」を想起させる。パクリ云々ではなく、短いエピソードに非常に向いているということが言いたいのです。
制作の関テレさんに、なぜこれを連ドラにしなかったのか小一時間問い詰めたい。明らかに連ドラ向きとd TVと映画を観て確信した次第。
d TVの第1話(永尾まりや、鈴之助)には、ドラマと映画を通して一番のショックシーンがあったし、映画版ではレイティングの関係からかエロスとヴァイオレンスが抑えめだったのと対象的に、永尾まりやぎの濡れ場はなかなか激しかった。
殺害完了後に真相を知る→後悔・絶望して自殺のパターンは2話(永井大、MEGUMI)のエピソードが優れていた。最初は何度もこんな展開あり得るわけないじゃん、ご都合主義、と思うのだが、ラストでそれが全部ひっくり返り、全てに合点が行く衝撃。
3・4話のミステリー展開と、サイコパスの狂気にはゾクゾクきた(平岡祐太、佐藤仁美)。
キャストも映画版と遜色ないし、そもそも映画版のキャスティングもワンクールの連ドラなら十分可能なメンツだろう。
ドラマでは松坂桃李のキャラクターは完全に謎のギアス使い(片目が赤くなる描写がまんま)となっている。
翻って映画版は、松坂のギアスが効かない沢尻エリカがなんとか挑もうとするのだが、いかんせん無能、行動原理も一貫しておらず、まるで対抗できていない。ここも、連続ドラマで少しずつ彼女のキャラを掘り下げていけば、もっと説得力を持ち得たと思う。
映画版は一言でいえば「だいぶ薄味のCURE」といったところか。ポジション的に松坂桃李→萩原聖人、沢尻エリカ→役所広司になるか。
酷評も多い本作だが、d TV版も是非観て欲しい。
そして、よかったら黒沢清監督「CURE」もご覧ください。