”ベイビー・ドライバー”
今年最も唸ったポスターと予告編。
「カーズ2」は見ていなかったですが、おそらく「カーズ」1作目の正統な続編であり、「カーズ」1作目のジョン・ラセターの信念を感じる物語。
1作目の大傑作感には到底及ばないのですが、そこで語られる物語は「ロッキー」のような人生の奥行きを表しているようでクライマックスは何度も泣いてしまった。
予告編で見せたクラッシュしながら全身の部品を撒き散らすマックイーンの儚き栄光と脱落者への入り口が美しく、全編重い話を半ば無理だと分かっていながら期待したものの、それを吹き飛ばす時代遅れのロックチューンと新世代の無機質な没個性が、名残惜しく火花を散らし、そしてCGアニメの進化とともに描く迫力のレースシーンのスリリングな距離感と巻き上がるタイヤのカスに彩られた快感がそのにはあった。
結末のネタバレは幾度となく張られた伏線もあるが控えたい。結末を知ったときの感情がどちらに転ぶかもそれは自分自身を映す鏡のようなものなのではないかと思ったからだ。
ロジックvs感情論。
自分自身が今後どう生きるかも、何かそんな思いの力を孕んだ作品でありながら、中盤のサンダードーム的というかアングラなエクストリームレースのタイヤから吹き出るパイロの爆発の反倫理的爆発感とスクールバス型の女子プロレスラーの汚らしい輝きにも目を奪われる、やはり隙のない作品だった。
砂浜を疾走するマックイーンと今回のパートナーであるクルーズのシーンは「ロッキー3」を彷彿とさせ、次世代のトレーニングとベテランの感覚を研ぎ澄まさせる精神論的なローカルなトレーニングの相反するマッシュアップは、もちろん「クリード」であった。
最後、呼吸器を外すような陰鬱なものでなく、明るく楽しく、そして泣ける大人の物語を「カーズ」シリーズは哲学として信念として持っていることが羨ましかった。
”ファビュラス”
この言葉が永遠に死ぬことがないように走り続けて欲しい。
”I live,I die,I live agin”
その永遠を誰かと
その永遠を誰かに
私の好きな継承の物語であったことに最後まで感動の涙が滲んだままエンドロールが過ぎていった。