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gifted/ギフテッドのレクのネタバレレビュー・内容・結末

gifted/ギフテッド(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

子供の才能を伸ばすことが本当にその子の人生における幸せなのか?
親権争いは所詮大人のエゴであり、子供の意見は尊重されない。
そこに親子ではなくても親子のように愛情を築き上げた二人の物語を被せることで深みあるものへ昇華している。
幸せを願わずにはいられない傑作。


この映画で凄く印象的なのがメアリーとフランクの関係と対比するようにイブリンや里親の存在があるということ。
ピアノが最もそれを象徴するアイテムですね。
フランクにはお金がありません。
勿論、メアリーにピアノを買ってあげることも出来ません。
そんなやり取りの描写と対比するようにイブリンの家や里親の家でピアノが映し出されるんです。
映画の中の演出の一つとしてサラっと見せて気づかせることが素晴らしいと思いましたね。


また愛猫フレッドも重要な役割を担っています。
ゴミ箱から拾われた片目の猫。
片目のことを隻眼や独眼と言ったりしますよね?
隻眼は社会的に見れば身体障害ですが、日本の障害者認定制度では片目失明というだけでは視覚障害者認定はされません。
北欧神話の神オーディンが隻眼なのは、知恵を得るために片目をミーミルの泉に捧げたから、という面白い話もあります。
母親が亡くなり、父親に育児放棄されたメアリーは社会的に見れば弱者です。
しかし、そのおかげでフランクとの生活を得られ、最終的には数学を学びつつ同年代の友達も作ることが出来た。

メアリーが学校でフレッドを自慢していたシーンがありましたが、このフレッドはメアリー自身を表すものなのではないだろうか?
猫アレルギーのイブリンはフレッドを里親募集に出してしまいます。
そして再びフランクの元へと引き取られました。
これもまたメアリーがイブリンの元を離れ、フランクの元へと帰ることと同意に描かれてました。


今回はそことは別にナビエ・ストークス方程式から映画「ギフテッド」を見ていきたいと思います。

まず、"ナビエ・ストークス方程式"から説明していきますが私自身、理系ではありますが流体力学は習っておりません。
そして正直な話、説明していては何度日が暮れるか分かりません。
なので、簡単な説明になってしまうことをお許しください(笑)

ナビエ・ストークス方程式
流体の運動を記述する2階非線型偏微分方程式であり、流体力学で用いられる。アンリ・ナビエとジョージ・ガブリエル・ストークスによって導かれた。NS方程式とも略される。ニュートン力学における運動の第2法則に相当し、運動量の流れの保存則を表す。

粘度やポテンシャルによって答えは異なり、複雑故に解を求めることは非常に困難です。
簡単に言うなら
流しそうめんの要領で縦半分に割った配水管にパチンコ玉を転がすだけなら、パチンコ玉の質量は決まっています。
あとは押し出す力の大きさ。重力加速度、摩擦力等条件から簡単に計算できます。
では、もし流すものが水ならどうか。
固体であるパチンコ玉と違い、液体である水は流動性を持っています。
言い換えるなら、パチンコ玉は一つの固体の動きを計算すればいいだけですが、水は水素と酸素から構成される無数の分子一つ一つの動きを計算しなければならないということです。
頭が痛くなる問題ですよね?
それを数式で表すことの難しさはこれでご理解いただけるかと思います。


一方で、今作のテーマでもある愛について考えます。
最もわかりやすいものがキリスト教ではないだろうか?

・ストルゲー
キリスト教では家族愛。
・エロス
キリスト教では性愛。
・フィーリア
暗キリスト教では隣人愛。友愛。
・アガペー
キリスト教では真の愛。
新約聖書において神の本質が愛であり、特にイエス・キリストを通して愛が示されている。

キリスト教における「愛」は大まかにこの4つに分けられます。
しかし、これだけで愛の全てが語られるわけではありません。
「愛」というものは曖昧なもので形は一つではありません。
対象を限定せず、立場や状況によってその姿は如何様にも変化します。
注ぐ容器によって形を変える液体のように、愛は実に流体的だと思いませんか?

解を求めることが難解な「ナビエ・ストークス方程式」。
これが答えだと明確な言葉で表現出来ない「愛」。
ナビエ・ストークス方程式に関わった人々の様々な愛の形を映画「ギフテッド」で見せられたような気がします。
流体力学を解くためにナビエ・ストークス方程式は必要不可欠です。
でも、人の幸せに愛の方程式なんてないんですよ。


メアリーはフランクと愛猫フレッド。そして隣人のロバータとの暮らしを求めます。
数学への好奇心はあるが、それよりも家族として生活してきた今の環境を愛していたんです。

そんなメアリーを育てたフランク。
ダイアンの遺言を守るためなんてのは口実で、実はメアリーが可愛くて可愛くて仕方ないんですね(笑)
ロバータも同じくそうです。
自分の子どものように愛情を注いできたメアリーに対する愛は親子の愛と同等、いやそれ以上に固い絆で結ばれていたのかもしれません。

メアリー祖母であるイブリンは一見、横暴とも取れる行動で、作中でも明らかになりましたが、イブリンはダイアンにしたことと同じようなことをメアリーにもしています。
ダイアンの初恋を邪魔したように、メアリーとフランクの仲を裂こうとします。
しかし、これもまた人類の大きな進歩のための貢献であり、メアリーの才能を活かすことが彼女の幸せだと信じて止まない愛情なんですよ。
そんな辛い経験をしたダイアンはきっと自分の子どもにはこんな辛い思いはさせたくないと思ったことでしょう。
メアリーに普通の生活をしてほしいと願ったのもそこにあると思います。
特別な才能があったとしても、メアリーはメアリーとして生きて欲しかった。
これは紛れもなく母親の愛情ですね。


そして、このタイトル「ギフテッド」は間違いなくメアリーのことを指します。
彼女は7歳にして一般的な知識を超えた高度な知識を得ていましたよね。
しかし、この作品を観終わった後に見るこのタイトルはそんな高度な知的能力を指す言葉ではないと思うんですよ。

メアリーを取り巻く周りの人たちが、それぞれの形でメアリーに愛情を与えた。
「才能」ではなく「恩恵」。
「ギフテッド」とはそういう意味じゃないのだろうか?
そう思えてならないのです。
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