半兵衛

出張の半兵衛のレビュー・感想・評価

出張(1989年製作の映画)
4.0
これぞ大人のための寓話(監督的に見れば大人向け『日本昔ばなし』)。出張のため訪れた見知らぬ土地でテロリストに誘拐された主人公の中年サラリーマンを通して、非現実の世界に連れ込まれても常に自分は会社員だという業からは逃れられず、家族や会社は渋々ながら身代金を支払って解放されたと思ったらその支払ったお金の返済のため働かざるを得なくなるという現実の不条理から逃れられない様がコミカルに描かれる。でもテロリスト云々は非現実だけど、予想外の出費のため会社や親族から金を調達してその返済のため働くというのはよくある話なので実は現実的な内容なのかも。

主役のサラリーマンを演じる石橋蓮司の名演が映画に深みをもたらす、会社や嫁に悪態をついたりするもいざ彼らと話をするとすぐに主導権を相手に握られ押し込まれる情けなさや会社や家族の愚痴を思わず苦笑しそうにテロリストにしてしまう姿に感じる哀愁などを飄々としつつツボを押さえた演技で魅せていく。家族や上司と身代金のことで電話した際、彼らが自分のことを心配していないことを知り慟哭する様は同じ境遇の人間なら大いに共感するはず。個人的には主人公がテロリストに自己紹介するとき、会社のことを語るとき思わず営業口調になるところで「ああ、この人仕事のときにこうやって振る舞っているのだな」とわかって泣きそうになった。テロリストのリーダーだが常に飄々としてつかみどころのない原田芳雄や、テロリストグループの一員だが石橋と同じ世代で彼の愚痴を聞いたり温かく見守る吉沢健も印象に残る。そして声だけなのにどういう上司なのか見てる人に理解させ、存在感を示す佐藤慶の凄さ。

テロリストの描写はひたすら漫画チックで現実の肌触りを感じないままで終わるのだが、その事が日本でのテロと一般人の距離を示唆しているのだなと思ったりする。

一番怖いと思ったのは、交渉を担ったテロリストの一員から石橋に家族や会社が保険金目当てであなたを事故死させようとしていると言われた件。この世はどんな綺麗事を言ったって所詮は金が一番なんだということを嫌になるほど再確認させるし、そのあと何も起こらなかったものの妻の態度にどこか変なところがあるのも更に嫌な気分にさせる。

現実の世界で働くことになった石橋蓮司が遠くにいるテロリストに送る「頑張れよ!」の掛け声は、働く中年になった自分にとって『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』のメッセージより何十倍も響いてきて涙が出てくる。
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