Jeffrey

キシュ島の物語のJeffreyのレビュー・感想・評価

キシュ島の物語(1999年製作の映画)
3.8
「キシュ島の物語」

冒頭、ここは小さな島。青い空と碧い海。ギリシャ船と指輪とドア。この3つの物語が描写される。心地よい波の音、不思議な世界、段ボールの山、広い砂漠、そして海辺に横たわる難破船。今、南の島で生まれた不思議なファンタジーが始まる…本作は3人の監督によるオムニバス映画で1999年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品にして、単なる観光映画として作成されたにもかかわらず、傑作の呼び声を博したイランを代表する監督らの不思議な物語である。

この作品の第1話を担当したタグバイはキアロスタミと同じでイランよ巨匠とされ、若手監督に絶大な人気があるとのこと。因みにこの人が撮った作品を見た事はないが…。この作品はもともとキシュ島の観光局が現実的な方法を用いて、島の魅力を世界に広めようと言う企画から始まったそうで、マフマルバフ監督に依頼した事からプロジェクトが進んでいったとのこと。また本土とかけ離れた"ゆるい"制度のおかげで、3人ともそれぞれ自由に作風を選べたとのことである。なので3つの個性溢れるストーリーが面白い。個人的にはペルシャ湾の中心に位置し、約90平方キロメートルの小さな島を舞台にどのような楽園をそれぞれ描くのか非常に楽しみにしていた。結論から言うと、やはりマフマルバフの「ドア」が傑作であると感じる。もちろんどれも素晴らしいのだが。



まず第1話を担当したナセール・タグバイの作品から言及していく。

「ギリシャ船」

本作は美しい南の島の風景が写し出される。そこには木材で作られた小屋があり、そこに1人の女性が歩いて中へ入る。次のカットでは小舟をこぎながら水中をいく男性の姿を捉える。海に浮かぶ大量の段ボールの山々、日本製の家電メーカーのロゴが映る。1人の男性が海を泳ぐ。さて、物語は海岸に流れ着いた外国の段ボールに恐怖を感じてしまう女性とその夫の姿を面白く描いた作品で、呪い師が奏でる伝統的な音楽とともにユーモラスに満ちたストーリーが幕を開ける…と簡単に説明するとこんな感じで、その船は40年位前に東に向かって物資を運ぶ途中で難破したと言う島の住人の話によって分かるのだが、そのそびえ立つ夕日に染まるシルエットがなんとも幻想的で神秘的だ。

ギリシャ船の逆光のショットがとても美しい。夕焼けの色鮮やかな暮色の感触がたまらない。この物語は小さな島の文化で生きてきた女性が西洋文化あるいは世界から流れてくる得体の知れない見たことも無いものに怯える恐怖をテーマに、その島に住む呪い師による助言で夫が妻もしくは段ボールどちらを選ぶかを迫られると言う話である。多分きっとイスラム哲学を踏まえているような感じがする。中々面白い映画だった。

続いてはアボルファズル・ジャリリ監督作品に言及する。

「指輪」
本作は南の島に出稼ぎに来た男性の描写で始まる。彼は公衆電話で事情を話す。そして面接へと向かう。彼は島で仕事を見つけ給料を稼ぐ。さて、物語は仕事を求め、島にやってきた青年をひたすら写す内容で、この島で可能な限り稼ぐ方法を身に付け、釣った魚や拾い集めた貝殻を売りさばく。そして、島にあるショッピングモールで彼はとある指輪を買う。だが、その指輪を渡す相手は果たして誰なのか、観客はその指輪を受け取る人物を知ったとき大いに感動する…と簡単に言えばこんな感じで、この作品は青年の孤独を島と言う小さな空間で捉えた作品で、映画全体的に寂しさ漂う曇り空で始まり、曇り空で終わる。そして地平線から写し出される島の海の美しさが際立つ。やはりジャリリ監督は基本的に子供を描写する作品ばかりだが、この僅か20分程度の短編映画では子供から青年に成長したいっぱしの大人が主人公である。

中々、感動する作品だ。

続いてモフセン・マフマルバフ監督

「ドア」
本作は広大な砂漠地帯をドアを担ぎながら歩く老人の描写と青空の画で始まる。その動く被写体が豆粒になるまでの長回しと、次に自転車をこぐ人の描写がマフマルバフらしい。さて、物語は全財産であるドアを担ぎながら砂漠を旅する老人と娘のストーリーに郵便配達人と楽団を混ぜ合わせたシュールな描写が面白い一編だ。老人宛の手紙には彼の娘に恋した若者からのプロポーズの内容だった。だが老人はその手紙を破り捨ててしまう。そうして波打ち際にたたずむ老人と娘のショットが悲しくも映されて行く…と簡単に説明するとこんな感じで、老人が担いでいるドアがとてもアンティーク調で魅力的だった。

だが、この作品の画期的なところは、ドアに今にも押しつぶされそうな老人の描写が多く映し出されるところは、何かはまだ自分もわからないが、絶対にイラン社会を皮肉っているような意味合いがあるはずだと思う。また娘が無理矢理引っ張っている子山羊にも何か理由がありそうだ。この映画、砂浜と海の2つがスクリーンに映し出されるのだが、楽団や郵便配達人と個性的な人物が画面に出てくる分、単調な映像が社会的風刺、もしくは哲学的な側面を醸し出していることに成功している。

また面白おかしいセリフ回しもあるし、民族的な音楽もきちんと写し出されていて、非常にユーモラスがある。目元以外全身全て黒いチャドルに身を包む美しい娘が嫌がる子ヤギを連れて歩く描写は滑稽だ。不意に彼女の目元のクローズアップが何度か描写されるが、背景の青空と共に魅力的だ。それから楽団の面白い儀式も見所の1つだ。

それにしても飛び上がってメェ〜メェ〜鳴くヤギが可哀想すぎる。無理矢理引きずられて体がボロボロになってると思うし。この作品はいつまでも見ていけれる砂の上のファンタジー映画で、長編映画としてもヒットすること間違いなしの素晴らしい作品だった。

いや〜、やはり何度見ても異世界の映画を見ているかのような不思議な感覚に陥る。別世界に誘うと言うのはこの事を言うのだろう…。まずこの島の画期的なところは、イランの本土とは違い文化庁、イスラム指導が介入しない唯一の島で、外国製品などが多く取り扱われてたり、男女の混合や海水浴場での泳ぎ、外国の音楽なども聴ける。そして何よりもそのまま直接この島に訪れるのであれば、ビザなしで入国することもできると言う島である。

余談だが、一切の検閲が無い割には、宗教的な側面が薄くてびっくりした。それとこのキシュ島の由来の言い伝えとしては昔、猫と一緒にインドを旅したキシュと言う名の青年がいたらしく、彼はネズミを駆除し、マハラジャに感謝され最高の宝をもらって、この島へやってきた。それが彼の名前にちなんで付いたとされているらしい。

最後にこの島の歴史を引用する。

西ローマ帝国滅亡後、強力なアラブ王国の下で重要な交易の中心地としてキシュ島の発展は最高潮を迎える。14世紀に入りホルモズの略奪に遭い栄光は翳りを見せる。イスラム革命直前、パーレビ王国とその来賓のためのリゾート地として開発され革命後まもなく、新政府は既存の施設を利用してキシュ島を自由港とした。

それにしてもこの映画を通して、この島にいちど行ってみたいなーと思わされた。島を囲むサンゴ礁の美しさに珍しいエンペラーフィッシュなどがたくさんいるとの事である。一応外国人専用ビーチもあるらしい…。

3つのオムニバス絵柄がどれも最高レベルにすばらしいと思う。ぜひ見て欲しい。
Jeffrey

Jeffrey