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アウトレイジ 最終章の背骨のレビュー・感想・評価

アウトレイジ 最終章(2017年製作の映画)
3.5
冒頭のシーン。軽トラの荷台に乗った大友を見たとき。これはもしかしたら映画を作り始めた頃に戻ったような作品を作ってくれたのかな?と期待した。
…それは自分の勝手な期待に過ぎなかった訳だけど。

公開直後のこんな時期に、それもこんなにファンが多い作品ではありますが、賞賛レビューにはなりませんでした。というか内容についてほとんどレビュー出来てません。先にお伝えしておきます。

今回のアウトレイジ最終章、作品として自分は全く興味が持てなかった。
もちろんわかりやすく作ってあるので内容の理解は出来ていると思うが、なんら刺激を受ける事がなかった。

アウトレイジシリーズは大友の物語である訳だけど、なにしろ大友という人間の事がよくわからない。わからないと言うかなんらシンパシーを感じない。

北野武監督作品を見る上で主人公(特にビートたけしが演じる場合は)に対してシンパシーを感じられるかどうかというのが自分にとっての1つの基準になってる。それはある意味で他の監督よりも主人公に監督自身を投影している度合いが高いと思っているから。

大友という人はシリーズを通して、というかシリーズが進む程に、とんでもない質と量の暴力を振るう割には、特に破滅思考でもなければ、死の匂いを漂わせている人物としても描かれていない。少なくとも自分にはそう感じられない。むしろ金と立場を気にする官僚的現代ヤクザを思わせる。常に損得を踏まえた上で考えながら行動している。
たしかに作品の中では金では動かない昔気質のヤクザと言われるが、死の匂いがプンプン漂っていたソナチネの村川と比較すれば相当違いがある。

大友があそこまでやる事が自分にはなんかしっくりこない。突発的な衝動に突き動かされて動くタイプではない彼があそこまでやる理由はなんなんだろうか?
やってるのがソナチネの村川ならわかるんですよ。でも大友ですからね。

いや、別に映画なんだからどこまでやってもいくら殺してもいいんですよ。いいんだけど、映画の中で語られる彼の人物像からはあの行動とうまく繋がらない。だからどうもずっと乗れないんです、この映画。

そして自分は村川から大友への変化が、実は北野武の変化そのものなんじゃないかとも思っているんです。

自分なんかが北野武監督を批判するなんておこがましいのはわかってるけど、初期の熱狂的ファンだったんでどうしてもなんか言いたくなる。
商業映画監督としての北野武監督の成長が自分が観たい映画、興味がある監督というものからは遠くなっていった。ただそれだけの事なのかもしれないと。

なんかこんなレビューになってしまってすみません。特に北野武監督ファンの方すみませんでした。そして最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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