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アウトレイジ 最終章のryodanのレビュー・感想・評価

アウトレイジ 最終章(2017年製作の映画)
5.0
「アウトレイジ」シリーズ完結。

北野監督の思いが詰まった作品。今の日本人の生き方に疑問を投げかけたシリーズ。勝つか負けるかの競争原理社会で、己の生き方を貫いてみせた主人公。「2」で、その生きざまの片鱗が窺え、尚も義理を通す、何故自分がそういう作品が好きなのか、ただハードボイルドが好きなのか、単にそう思っていたのを、この歳になって、よくよく考えてみたら、共通するのは、自分の生き様を貫いた登場人物に共感しているということ、組織に属していても、決して自分を売らない、そんな人物が好きということ。刹那的な生き方が好きなのも、結局、裏を返せば自分の人生を精一杯生きるということ。「カルテット」が好きな理由も、「人生のやり直しスイッチは押さない」、まさにその一点に尽きる。自分の人生だって盤石ではなかったし、どん底な、それこそ「一般的な」人間として扱われていなかった時だってあったし、それで辛い時期を過ごしたし、本気で死んでしまいたいとも思ったし、そこから這い上がろうともがいたし、何年もそんな時代があって、今があって。人生、充実した実りあるものだったなんて、これっぽっちも思わない。自分の人生、クソだと思ってるし。でも精一杯生きたと思う。何の後悔もない。逸れたけど、今の風潮は、前向きに生きようとして、自分の人生を振り返えようとしない。自分の人生で出会ったもの、映画や小説や、記憶や人の思いや。その時、あの人はどんな思いだったか。そういう過去を刻んで自分の人生があるのに、刹那的を逆に解釈してるのか、楽しければいいって可笑しくない?人生、楽しいはずがない。言いたいことを言って、前向きに生きる?それって正しいの?匿名を利用して、権力を利用して、弱い者を徹底的に叩く。そのやり方が是とする風潮があれば、一斉に叩いてもよい。クソだ。ヤクザの世界に置き換えても、結局舞台は、現代社会。自分の大切な人には迷惑はかけない。恩義は一生涯忘れない。恩義のある人が助けてと言ったら、真っ先に駆け付ける準備をしておく。日本人の本来の理想像ってそういうもんでしょ?「サムライ」「侍」って言葉が氾濫しているけど、武士の生き様は忠義心な訳で。「赤穂浪士」や「新選組」の話が語り継がれたのも、それが美徳だったから。単語だけ過去を振り返っても、その人たちの無念さや思いまでは掘り下げない、見ないし聞こうともしない。そんな連中が昔の日本人を曲解している。それは先の大戦も同じ。「神風特攻隊」だけ特化して、死んだ兵士を祀り上げ、軍神などと可笑しな名称で呼び、生き残った兵士達の声を聞かず、ここまで来てしまった。生き恥を晒す元兵士達の、その後の辛酸に誰が思いを馳せているのでしょうか?もう人殺しは嫌だ、そんな思いで新しい国造りを始めたのに、今はこの様。戦後は負じゃない。負けたことは、負かもしれないが、そこから出発しただけで、マイナススタートではない。世界に類を見ない、軍隊を持たなくとも平和な国を、世界を造り上げていこうと理想に燃えた新時代の幕開けなのに。何故体裁悪く振舞うのか。それは過去を清算していないからの一言に尽きると思う。反省しきれていなかったからだ。その証拠に隣国は納得していないじゃないか。劇中、敢えて韓国フィクサーを持ってきたのも、焼け野原の日本を下支えしてきたのは、所謂、在日マイノリティーでしょって、北野監督は思っているのでは?あの主人公をネトウヨが呼ぶ、侮蔑的な「在日」であったとしても、生き様は、ホンマモンのネトウヨが呼ぶ「日本人」でしょ。それをどれだけの「日本人」と呼ばれる人が理解できたのでしょうか。ただの暴力映画をここまで昇華させた技量は、海外で高く評価される監督だけあって、素晴らしい時代の読み方だなと感心しました。ビートたけしはもう古い?追い着いてもいねぇよ。(北野映画風に)
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