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人類遺産のchiakihayashiのレビュー・感想・評価

人類遺産(2016年製作の映画)
4.5
試写で見せてもらった。打ちのめされるような感覚から言葉になる部分を少しずつでも。

廃墟のドキュメンタリーであるということだけは知っていた。廃墟は規模が大きければ大きいほどインパクトがある。巨大な建造物が風雪にさらされた姿は、それを造った人間たちの企図や昂揚や傲りを感じさせるからだろう。冒頭に登場するのはそのような廃墟のひとつである。

ナレーションも説明のテロップも一切ない。

雨が降っている。激しい雨だ。画面が転換するとそこは自転車置き場である。一台ひっくり返った自転車があるだけで、たくさんの自転車が整然と並んでいる。雨の中、カメラは駐車場とその向こうにある真新しそうな集合住宅を捉える。駐車場のアスファルトを食い破って雑草が丈高く茂っているのも含め、見慣れた光景である。だが、やがてカメラが無惨に破壊された道筋を映し出したときに、微かな予感が確信に変わる。フクシマだ! 
プレス資料には日本の端島(軍艦島)など世界的によく知られているらしい廃墟の来歴の情報が記されているが、福島という名前が登場するのは監督のインタビューのみ。

曰く「福島第一原発から4キロのところで撮影したのですが、荒廃がまだ進んでいないので、なぜここが廃墟なのか、ここで何が起こっているか、観ている人にはしばらく分からないと思います」。

当然、チェルノブイリの周辺の光景もおさめられている(私にはどのシーンと特定はできないけれども)。なにしろチェルノブイリ原発から4キロの原発労働者のために建設された小さな町を撮った『プリピャチ』(99年)の監督なのだ。

見終えて胸にわだかまっているのは、圧倒的な無力感、徒労感、虚無感と言えばいいか。

特に乱雑極まりない室内を撮影した生々しいシーンは、そこを打ち棄てた人間の内面の荒廃をそのまま伝えているようだ。世界70ヶ所以上の廃墟から、人々はなぜ追いやられたのか? 何を置き去りにしたのか? と問うことすら虚しい。

監督は「本作は、かなり演出をし、変化を加えたという意味ではむしろフィクションに近いと思っています」と語っている。

廃墟が風にさらされているように、降りそそぐ雨、渦巻く吹雪、打ちつける波の音や鳥や虫の鳴き声などに、観客はただ曝され続けるわけだが、これは音響デザイナーによって精妙に再構築された音だという。

人間は愚かだ、人間は弱い・・・・・・といった漠とした想いのなか、このような映画(アート)を創り上げた営みがたゆまず続けられていくことに、ひと筋の光を見る。
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