ろ

私はあなたのニグロではないのろのレビュー・感想・評価

5.0


これはね、“アメリカ”の話じゃないよ。
だって、差別や偏見はどこの国にもどこの社会にも存在するから。
“遠い国”でも“過去”の話でもない。
これは、わたしたちの”いま”なんだ。


人は無意識のうちに見るものを選択している。
「これに注目して見てください」と言われれば、まわりで何が起きていようと見えなくなっちゃう。
でもそれは、「これに注目して見てください」なんて言われなくても一緒だと思うんだ。
人はそれぞれの都合・価値観・考えに合わせて、見るものを選んでいる。

「テレビは絵空事を流しておもしろがっている」という話があったね。
「こうであったらいいのに」という理想を、現実と見せかけて番組にしているって。みんなが無意識に思っていることがテレビというカタチになり、わたしたちは満足する。
わたしはね、ずっと逆だとおもっていたよ。
わたしたちが、テレビ(メディア)に、プロパガンダされてるんだってね。
でも違うんだ。
だって、人は見たいものしか見ないんだから。



「駅馬車」や「招かれざる客」がでてきたね。
ボールドウィンさんは淡々と語ります。

「ヒーローはいつも白人で、暴力をふるおうが自由を唱えようが、その立場は揺るがず憧れの的。それと同じことを黒人がやったらどうだろう。見せしめに吊し上げられるだけだろう。黒人はいつも、本当の彼らとはちがう姿で映画に登場する。」

立場が違えば見方が変わる。
この違和感を全く同じように汲み取ることはむずかしい。
だけど、人の目を通して映画の一面を知ることは、強烈で複雑な体験だった。



ソクラテスさんの“無知の知”という言葉を、自分に言い聞かせてきました。
自分が無知であるということを認め、目をそらさないこと。
この映画は、自分の中にある差別意識にダイレクトに刺さって、とても痛かったです。


知らないということは、最もしあわせなこと。同時にとてつもなく残酷なことだと、いつも思います。
無知は恐れを生み、恐れは暴力を生むから。


「向き合っても変わらないこともある。だが、向き合わずに変えることはできない」

なにと向き合う?

はじまりは、自分自身から。






( ..)φ

昨日はね、役所でヘルプマークをもらいました。
数か月前から気になっていたけれど、なかなかもらいに行けなかったんだ。
一番の壁は、自分に対する偏見だった。

ドキドキしてね、眠れなくて。
とりあえずマイナンバーカードとおくすり手帳を持って行ったの。
だけど、書類も手続きも必要なくて、ニコニコ顔のおばちゃんが手渡してくれました。

でもね、同じ役所の人でもヘルプマークを知らない人がいて、とても驚いたの。
大阪の地下鉄・JR・バス。マタニティマークのシールは貼られているのに、ヘルプマークはない。
京都の市バスには目立つ場所にしっかり表示があるのにね。


この差って、一体なんだろう?













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