黒人作家ボールドウィンの原作を元に、アメリカの人種差別問題の歴史に迫ったドキュメンタリー。
マルコムX、キング牧師、メドガーエヴァースなどの錚々たる黒人指導者の暗殺されるに至るまでの生涯につかず離れず程度の熱感で迫りながら、人種差別の現状まで、またはその先に見えて来るアメリカという国家の姿態までを訥々と語ったとても良い作品だった様に思う。
この手のドキュメンタリーはどうしても熱が入りすぎて客観性が損なわれているものが多いし、書籍で読んでみてもなかなか映像が頭に浮かびにくいので非常にありがたい。
印象的だったのは、ボールドウィンとイェール大学のワイス教授の討論。
ボールドウィンは、自国の人種差別問題について、作家活動をしようとすれば命を狙われ、執筆活動もままならない事を必死に伝えようとするが、ワイス教授はピントの外れた見解ばかりを示して全くボールドウィンに取り合おうとしない。
ワイス教授曰く、
「肌の色の違いはたしかに存在する。だがそこを強調すると他が見えなくなるし人々を間違った形で分類することになる。」
だそうだ。
彼はどうやら自国の歴史についてはあまり知らない様だ。
アメリカには1896年に行われたプレッシー対ファーガソン裁判で可決された"分離はすれども平等(Separate but equal)という法原理が存在していた。
教育現場や公共交通機関で、黒人と白人が完全に分離した区間で扱われ、白人の領域から黒人を締め出す事を公的に認める法原理だ。
これを黒人が破れば当たり前の様に白人警官から殴る蹴るの暴行を加えられ、逮捕されていたそう。
これがありながら憮然とした態度で、肌の色を強調するな、と。
教授ともあろう人間の認識がこの程度なのだ。
人種差別が容易になくなるはずがない。
全ての白人が差別をしているわけではない。
これもまた事実だろう。
だが、と、ボールドウィンは穏やかな口調で語る。
「白人の多くは差別主義者ではないが無知だ」
ここではっきりさせたいのは、無知と不知は全くの別物である事。
不知というのは、知らないが、知ろうとする意欲はある状態と定義する。
かたや無知というのは、知らないし、知ろうとする意欲もない状態と定義できると思う。
要するに、不知は今後知る可能性があるが、無知には知る可能性が全くない。
白人の多くはこの問題について、直接手を下すことはないのだろう。
しかし、全く知る可能性もないということも残念ながら、事実であるのかもしれない。
ps.絶対どこかでケンドリックラマーあたりが流れるだろうなと思ってたら案の定。笑