Adachi

散歩する侵略者のAdachiのレビュー・感想・評価

散歩する侵略者(2017年製作の映画)
4.4
なんというか黒沢清という人の視点とセンスは本当に素晴らしい。
人間の頭の中から様々な概念を奪い、直接それを自分のものにしていく。「自分・他人」だったり「所有する」という概念を奪い取られた被害者たちは、頭の中にあるべきものが欠落することで、今までとは別人になってしまう。

異端的な作品を作り続けている黒沢清映画による、本作『散歩する侵略者』は、このような概念的な設定の人間ドラマを、シュールで悪ノリしたコメディータッチで描いています。
本作が特に特徴的なのは、概念を失った人間の姿を、悲劇という形ではなく、むしろよりユーモラスに、ときに小気味よく描いている部分だと思う。例えば前田敦子が演じる妹は「家族」という概念が奪われるのですが、その結果、妙にさっぱりして晴れやかな態度をとり始める。つまり彼女は、家族間の繋がりが欠落することで、しがらみに縛られることもなくなったとも言える。

この「概念が欠落する」という描写には、作中において科学的な根拠が掲示されるわけでもなく、いまいち実感に乏しいのですが、ここで描かれているのは、むしろ「概念とは人間にとって何なのか」という、抽象的な問いかけなわけで、松田龍平演じる宇宙人が、概念を奪うたびに人間の考えを理解し、乗っ取った人間の妻(長澤まさみ)と少しずつお互いを理解し合っていくように、より複雑で深いコミュニケーションをとるときに必要するツールとして機能している。だからそれを失えば失うほど、人は他人のことを理解することを失っていくことになるのだろうかと。(それにしても長澤まさみの「やんなっちゃあうなぁ!」は、本年度のベストセリフ賞を贈りたい)

調査チームの一人である、青年に乗り移った宇宙人(高杉真宙)もまた、あっけらかんと人間から概念を奪いまくっているのですが、中には概念を奪われることで幸せそうにも見える犠牲者も現れる。人と人とが理解しあうという過程には軋轢もともない、パートナーの心情を理解してしまうからこそ、その裏切りに傷つき、心の負担や対立が生まれ、起こるのだと思う。

たしか黒沢清監督の代表作『CUBE』で描かれたのですが、「愛しているはずの妻」の死を願っているという深層心理だったように、黒沢清監督が今まで多く描かれてきたのが、「日常に潜む不安」というやつなのです。それが気づかぬ間にむくむくと大きくなって日常を食い尽くすことで、既存の価値観が転倒してしまい、それが後ろめたいものであればあるほど、そこには常識から解放されたような感覚を自分中に見つけ出すとき、それは真のホラーとなり、そしてそれこそ真の恐怖なのではないのかと考え、今夜も眠れなくなっちゃうなぁ!!という事なのです。
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