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打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のimurimuriのレビュー・感想・評価

4.0
思ったほど悪くはなかったけど、何がダメだったのか考えてみると、
まず、中学生に(一般的な)打ち上げ花火が横から見ると丸いかどうかを大真面目に議論させることに無理があると思うのよな。だってよく考えなくてもわかるじゃん。
というか登場人物たちの馬鹿さ加減からしても、これ小学五年生って設定でも全然可能だったと思うしむしろそっちのがプラトニックに幻想文学寄りの演出がハマったんじゃないかなとさえ思う。
あと、序盤、のどかなムードで描かれてるのにその反面で登場人物の行動は明らかに学級崩壊ノンストップ!って感じだし、すると観客的にはちぐはぐな印象がしちゃうんだろうね。
典道くんの声のちぐはぐ感も、あれは菅田将暉が悪いのか演出家が悪いのか…

個人的に一番失敗だと思うのは、タイムリープ(厳密には「if世界へのジャンプ」とでも言うべきものだが、以下では便宜的にタイムリープと呼ぶ)の手段をビー玉みたいな物理的なアイテムにしちゃったところ。

細田版時かけを思い出してほしいんだけど、時かけはタイムリープの能力を得るきっかけこそクルミみたいなアイテムだったけど、それがタイムリープのための直接的なガジェットではなかったよね。時かけはタイムリープという掴みどころのない現象を一種の借り物の能力とすることで、その現象の曖昧さをむしろ生かして、タイムリープの不思議さとおかしさを描き出していた。
ところがこの映画ではどうか。あの謎のアイテムを出した上に、結局それが何だったのか一切の説明を省いている。観客的にはアイテムが出てきたからには何かそこに他者の意図(そのアイテムの本来の持ち主や出どころ)があるんじゃないかと期待するわけですよね。
アイテム出しておいてそれが結局なんにもわからないしその謎がストーリーに一切関与しない(唯一、かつてのなずなの父親の水死体?が握っている描写が申し訳程度あるくらい)と、観客としては気持ちよくはないわけですね。

あとはやっぱり主人公の友達の宮野真守の行動がワケワカメだったって印象が強い。いつの間にかタイムリープしちゃってた?え?どゆこと?それともただの思春期特有のひねくれ?という疑問が払拭できなかった。

まあそれでも最後のif世界とかビー玉の欠片降る夜とか瑠璃色の地球とかすげー綺麗で幻想的で私は好きだったから、「まあええやん」という気持ちにはなることができた。

主題に関しては、
「なずなと一緒にいたい」という現実では叶わなかった典道くんの願いは、まさに現実では叶わなかったわけで、そのことを「if世界ではそれが叶う」ということを通して、逆説的に言っていたのかなと思った。
現実は変えられない、
つまり、if世界では「なずなといたい」という願いは叶うということを通して、現実ではその願いは叶わないということを克明に描き出したというか、願いは叶わなかったんだというただそれだけの当然のことをひたすらに訴えてるというか、それを典道が受け入れるための旅だったんじゃないかなとか思いました。
もしもはもしもなんだよ、それを受け入れるしかないんだよというふうに読み取りました。

上手くやれば「夢オチ」の復興ないしは再評価という、パラダイムシフトまで起こせたかもしれない題材だっただけに、そこら辺もっとしっかりやって頑張ってほしかった。

銀河鉄道の夜
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