レク

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のレクのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

この脚本をどう受け取るか?
アニメ表現が目立つ反面、ドラマ版を引き伸ばしてオリジナルを突っ込んだ改変であり、ドラマ版とは別物として観た方が楽しめる。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
この子供ながらの疑問を世界の多様性、現実と空想、様々な可能性に視野を広げて見立てている。
これが打ち上げ花火の形で表現された演出は良く、少々SF色を全面に押し出した感があるので感情移入しにくくなっていた点が勿体無い。


制作がシャフトということで作画に問題はないのですが、ドラマ版はなずなが小6でアニメが中1設定だからかも知れないが、絵が綺麗なだけに勿体無い。
いや、ドラマ版でもなずなは他より大人びていてそこがまたいいんだけど、アニメ版に関しては年の差を感じさせすぎていて違和感が残る。

また、菅田将暉の吹替能力と言うよりも、キャラ設定が子供すぎた。
広瀬すずが(悪い意味ではなく)落ち着いた演技のせいもあって余計に他の子達との年齢差が際立ってしまったようにも思う。
ドラマ版ではちょっと背伸びした大人びた子供ってイメージなので。





さて、ここからは最も気になるラストシーンについての個人的な解釈となります。


打ち上げられたガラス玉。
その欠片たちには過去や他の世界線の記憶、未だ経験してない未来が散りばめられていました。
これは典道の思い描いた空想世界。
それぞれタイムリープした世界で打ち上げ花火の形が違ったように、ガラス玉の花火もまた違った形として打ち上げられていました。


ラストシーンで、出席をとる教室に典道の姿はありませんでしたよね?
では典道はどこへ行ったのか?

なずなはこんなことを語ってました。
「次に会えるのはどの世界?」

あのラストシーンの教室も打ち上げられた欠片の一片の未来、記憶なのではないか?
自分にはあのラストシーンが"典道がなずなを追いかけた世界線"の一つを見せられたように思えた。

あの後、典道となずなはどうなったのかわかりません。
ただ、なずなの台詞からあの時、典道はなずなに再び出会うことを願ったと思います。


その未来があの欠片たちの中にも当然あったのではないか?
そして、観客が願った未来もまたあのラストシーンなのではないか?

ガラス玉が齎した世界線、それが砕け散った時、見えてくる一つ世界。
典道の願いと観客の願いが重なった世界。
典道がこのラストを現実にするという意思表示ではないだろうか。


こういうSF作品、特に多様化する世界線が壊れた時、その多様化した世界線の最も強く願った部分が一つの事象に収束するんじゃないか?
それが想いの強さの象徴であって、そうあって欲しいと願う願望でもあるんですよ(笑)

と"空想を現実にする"ラストじゃないかなあと思ってみたり。
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