り

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のりのレビュー・感想・評価

3.6
この映画の評価が低いのは『君の名は』的な物語を勝手に期待した観客によるものという説がある。しかし、その期待を持たずに鑑賞してもなおこの映画のくそさはなんとも言いがたい。まず、物語的にはこの映画の評価は2.3くらいである。くそみたいにつまらない映画である。しかし、米津玄師による楽曲の素晴らしさ、(私を)ノスタルジックに導く設定、様々なことを考えさせられたことからこの点数になった。これは私の個人的なツボに入ったから高めの数値になったことを強調したい。
まず、この映画を見ようした契機は米津玄師の「打上花火」のPVを見てからである。どこか感傷的な気持ちにさせるメロディにとことんはまり、映画を見るに至った。正直、映画で1時間ちょい見るよりPVの5分間程度を見ていた方がよかった。短い故に様々な想像をさせ、勝手に物語を想像していた。それがまた映画の期待値をあげ、ジェットコースターのような急降下を見せた。
さて、本作の舞台は8月の花火大会である。花火大会と聞くだけで様々な思いが湧いてくる。好きな子を花火に誘えなかった後悔、断られた悲壮感。楽しそうな恋人を見てほんのり嬉しく、虚しく思った気持ち。様々な負の感情が湧き上がってくる。もちろん、恋人と過ごした楽しい思い出もあるのだが、どうしても負の感情が払拭されずに生き残っている。だからこそ、私の琴線に触れてクソつまらないストーリーに味を感じたのだろう。自分語りを進めると、高校時代に人生で1番好きな人ができた。これは後にも先にもない恋愛感情だろう。とにかく猛烈に好きだった。それゆえ本作の主人公以上に童貞的行為に走った。非常に恥ずかしいのだが、相手の気持ちを考えずに自分の物語に耽溺し、ネットの恋愛マニュアルを鵜呑みにしていた。もちろん、それは実らず恋愛自体にコンプレックスを感じた。だから、この童貞臭い映画の主人公やヒロインのヘタレで童貞臭い面に昔の自分を重ねてしまい、懐かしさとほろ苦さを思い出した。
さて、本作ではパラレルワールドが出てくる。主人公は何度も「もし~」と反実仮想を持ち出し、よく分からない石に頼る他力本願なヘタレクソ童貞である。暴言はさておき、私達の人生は選択の連続である。選択結果により今の世界がある。もし、私が高校時代に好きな子を誘えていたら今の恋人とは付き合っていないだろうし、性格も変わっていただろう。つまり、今の世界というのは恣意的であり、どうとでもあったものだ。この認識を持っていれば、自分をメタ的に考えられ、選択にもより自覚的になれるだろう。それに、人生というのは必然ではなく偶然の産物であることにも気づける。今の生活に満足しているなら維持するような選択を。不満足ならばそれを変える選択をすれば良いだけのこと。以上。
り