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いつも月夜に米の飯のsomaddesignのレビュー・感想・評価

いつも月夜に米の飯(2017年製作の映画)
2.5
三幕目から突然のサイコパス・ストーカー展開
これをほのぼの飯ドラマとして微笑ましく描くサイコ感覚含めて面白い

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女子高生・千代里のもとに居酒屋を営む母・麗子が失踪したという報せが届く。女手ひとつで千代里を育てた麗子は、以前から男癖が悪く自由奔放で、千代里はそんな母へのわだかまりを抱えながらも新潟に戻り、残された料理人アサダとともに居酒屋で働くことに。個性豊かな常連客たちや父親のように気遣ってくれるアサダらに対し、少しずつ心を開いていく。

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いつも月夜に米の飯(いつもつきよにこめのめし)
【意味】苦労のない気楽な生活のこと。また、そうありたいが、現実はなかなかそういかないこと。

新潟町おこし映画だけど、屋内のシーンが多くて新潟らしさがあんまり感じられず、深夜食堂みたいで面白かった。(町おこし映画としてどうかは別にして)

食べ物をもっと美味しそうに扱ってくれてれば良かったけど、和田聰宏の料理の手さばきや食べ姿が美しくて好感持てた。
高橋由美子のアバズレ感もリアリティあって面白かったし、なんかこうリアルに酒で失敗多そうな酒乱癖が透けて見える感じがよかった。なんだかんだあっても絶対に腹の底が見えてこない、優しくも信用ならない・お金貸しちゃダメな人ぽい姿を自然体で好演。


いわゆる「窓辺系」で、ほのぼのラブコメドラマなハズなのに、途中から完全にサイコパスなストーカー気質な物語になって行く。そのことに気づかずに直情的な女の子の恋愛、純情恋愛モノとして描いてくズレ感覚が面白くて、特に三幕目以降は主人公が急激に頭もお股も緩くなってくのスゴイ。
それでいて、一途な恋の相手に思いを遂げるべくストーキングするのを純愛として描くサイコパス感覚。

監督自身、過去の恋愛で探偵を雇ったことがある、と告白してらっしゃったので、ご自身の願望や情念が込められているような。

豪華脇役陣ばかりが目立って、食べ物のロマンスが感じられなかったのが残念。作る/食べる/片付けるが作る一連の意味づけも特になくて、ボンヤリと慈愛が描かれるばかりで「窓辺系」の域を出ず。

新潟繋がりでスーパーササダンゴマシンことマッスル坂井が、巨体を生かした存在感を放っていたのが面白かった。

76本目
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