まるまる

ぼくの名前はズッキーニのまるまるのネタバレレビュー・内容・結末

ぼくの名前はズッキーニ(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

後ろ髪引かれる思い。
映画はハッピーエンド然としてるんだけど、
どうも心が晴れない。

パパは若い女と蒸発。ママはそれ以来(?)飲んだくれてて、主人公イカールにつらくあたる日々。そんなママも事故で亡くなった。
パパとママの思い出の品と、ママがイカールにつけたアダ名”ズッキーニ”を心底大事に抱えながら、孤児院に入ることになったズッキーニと子供たちのお話。

孤児院の子供たちは皆、親と死別したとか、虐待されたとか、会えないところにいるとかで、保護されている。
心に大きな傷を負ってる子供たち。
似たような境遇にいる者同士お互い理解し合って、日々の生活を送る様子を見てると、孤児院は彼らにとって楽園のようにも見えるんだけど。
その一方で、子供たちは、決して満たされることのない大きな心の穴を懸命に埋めようと、傷を舐め合ってる様にも見えた。
だから「キスしたでしょ」も、恋の歌というよりは、真似事でもなんでも、確かな絆ができたことを心底喜んでるように見えた。

カミーユの涙の意味はなんだったんだろう?
「嬉しくても涙は出るんだ」と映画ではそう導いていたけど、嬉しいから泣いてたのかなぁ。
個人的には、置いて来た仲間への想いと、レイモンおじさんの心の穴の大きさへの憐憫というか共感というかで、涙がこぼれたように見えた。

彼らは誰一人、スタート地点にすら立てていないと言ったら言い過ぎだろうか。
大きな傷から逃れようとするあまり、目の前の理解者に縋ってみたようにしか見えなかった。
彼らの傷を舐めあう生活は続く。
それでなんの問題もないし、ハッピーエンドと言えばそうなんだけど。
どうしたって消えようのない彼らの傷を思うと、どうも心が晴れない。


後ろ髪引かれる思い。
赤ん坊は、確かな人の絆の証を見せつけ、彼らの希望になったけど、いつまでも彼らの弟ではいられない。長じて話すようになれば、嫌でも彼らとの違いが目に付くだろう。
アリスは今でも前髪上げて笑っているだろうか?
ベアトリスはいつか帰れるんだろうか?
母親の記憶「歯磨き粉は体にいい」を実践して腹痛おこしてたジュジュブ。
誤解から泥棒の誹りを受けて、しょげるしかなかったアメット。
シモンは負けずにイイ兄貴やってるだろうか?
なんだか泣けてくる。
楽園なんて、脆くも壊れるのが常だよね。


映画館からの帰り道、この映画がもたらす重い感情はどっかで感じたことあるなぁと思ってたら、思い出した。
東日本大震災から暫く経った時に湧いた、怒り交じりの強い感情。
「俺らは人一倍幸せにならなきゃダメだっぺ。
 それは権利じゃなく義務だっぺ!」
っていう、内陸に住んでて特に大きな被害はなかった僕が思った、我ながら理不尽な想いw
その後、NHK朝ドラ「ごちそうさん」で、関東大震災の惨状を見た登場人物が「我々は鍋底大根にならなければならない!おでんの鍋が引っ繰り返って、他の具材がダメになって、最後鍋底に残った、味の染みに染みた大根に!」とか言ってたのを見て、我が意を得たわけですが。
彼らズッキーニ達は、一人残らず幸せにならなきゃダメだっぺ!
それは権利じゃなくて義務だっぺ!
ほんと、みんなしあわせになーれっ!
アホー!
まるまる

まるまる