Masato

ぼくの名前はズッキーニのMasatoのレビュー・感想・評価

ぼくの名前はズッキーニ(2016年製作の映画)
4.7

君は愛されている

父親は出ていき、アル中の母親のもと育てられたズッキーニが孤児院で暮らすこととなる。ネグレクトと孤児院を描く感動必至のクレイアニメ。

これには弱いから泣くしかないよ。本来はネグレクトを描くとなると、あまりにもセンシティブすぎる題材なためか、ヘビーな作風になってしまいがちだが、クレイアニメだからこそ明るく見られるし、子どもたちの何気ない会話や恋にほっこりするからとにかく良い。

同じ境遇だからこそ傷を持つもの同士で強くなれる。痛みを知っているからこそ、優しくなれる。共に誰かと過ごす。それが親でなくても、愛すべき人と暮らす事は人生において本当に大事なことなんだと思わされる。人と人が支え合って「人」という感じになるとはよく言うけれど、やはり愛すべき他者がいてこその自分なんだな。「ミッドナイトスワン」とか、「チョコレートドーナツ」とか、「シェイプオブウォーター」とか、弱者に視点を当てることの大切さ。同じ弱者として素晴らしいことだと思う。

自分は親に愛されている。けれども、家族という単位を超えた先にある「社会」という単位では、常に孤独と闘っている。本当に自分は社会に愛される価値があるのか、ないのでは?と日々自問をし続けている結果、自己肯定はとうに消え去り、自信を喪失し、この世に生きる意味が失われはじめている。だからこそ、映画の中で、孤独に生きるが、愛し愛され、そして幸せになっていく物語を見ていると、自然と涙がこぼれてくる。自分が社会で愛される存在であると信じたい。けど、未だ信じられていない自分がいる。

自分ももっと力強く生きていかなアカン。こうして子どもたちも力強く生きてるんだから、自ら命を絶とうとなんて思っちゃ駄目や。まあ、死ぬ勇気なんてないんですけどね。

いまでも、ヘアアイロンで娘をいじめたり、トイレに流したりと凄惨な事件はあとを絶たない。子は親を選べない。自分の身を呈してまで優しく育てるのが義務であり、責任。世界中の子を望む大人たちは絶対に見るべき作品。
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