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メアリと魔女の花ののらのレビュー・感想・評価

メアリと魔女の花(2017年製作の映画)
2.5
スタジオジブリでアリエッティや思い出のマーニー等を監督した米林宏昌監督による、ジブリのスタジオ部門閉鎖後に作られた作品。当然の事だが主要なスタッフは元ジブリのメンバーでかためているため、キャラクターデザインなどはジブリ作品と共通する絵柄になっている。

話としては魔女の国から盗み出された、通称夜間飛行と呼ばれる魔女の花の実を巡る物語になっている。偶然夜間飛行を見つけた主人公メアリは魔女の国に行くのだが、夜間飛行を手に入れ悪用しようと企むマダムとドクターに見つかってしまう。一度は魔女の国から無事に帰る事が出来たメアリだったが、今度は近所に住むピーターを人質に取られてしまう。そこでピーターを救うためメアリは夜間飛行を手に再び魔女の国に向かう。

このように児童向けファンタジーとして定番といって良い話になっている。しかし本作は米林作品に共通する問題の多い出来に仕上がっている。米林作品の特徴としてアニメーションの巧みさがあるが、それ以上に脚本の読解力の無さと、演出の稚拙さという問題点が常について回る。

演出で言えば、例えば主人公が何かを見つけた場合にいちいち「あっ、あそこに〇〇がいる」と言わせたり、観客に対しアニメーションで絵的に見せているにも関わらずセリフで説明してしまう。百歩譲ってとなりのトトロに出てくるメイのような幼児ならまだしも、11歳の少女がそんな事を言うだろうか?とにかく本作の主人公は何をするにしても話してからしか行動しない。

もうひとつの問題点である脚本の読解力の無さは本作の時間配分を見れば明らかだ。本作は半部近い時間を使って、メアリが魔女の国に行き自宅に帰るまでを描いている。この時点では魔女の国のマダム達が夜間飛行を狙っている事は明らかにならないし、このパートは主に魔女の国の紹介にさかれている。つまり舞台が転換しただけで冒険が起きないのだ。

しかし問題なのはここからだ。ピーターを救出するためメアリは再び魔女の国に行くのだが、このピーターの救出という展開が2回もあるのだ。一度は救出に失敗するがもう一度立ち上がるという展開自体は良いのだが、その間隔が狭いためメアリが自分の意志と力で再び立ち上がるのではなく、展開上のご都合主義にしか見えないのでメアリの成長といったものが伝わりにくい構造になっている。この時間配分の稚拙さは実質的な登場人物が4人程度しかいないにも関わらず登場人物の掘り下げられない結果にもつながっている。

また物語のクライマックスで合成した魔法生物が暴走するシーンは完全に福島第一原発事故を連想させる作りになっている。もちろん監督が作品で自身の主義主張を含めるのは間違いではない。しかし序盤で「魔法は電気のようなもの」というセリフを言わせてしまったために、原発事故を連想させるというレベルではなく原発事故にしか見えずメタファーとして機能しなくなってしまっている。これは何が問題かと言うと、作品とは全く関係の無い文脈の話が紛れ込んでしまっているためノイズにしかなっていない。

本作は米林監督の、監督しての適性の無さに彩られた作品になっている。もちろんアニメーションの部分に関しては、例えば動物大脱走のシーンやマダムが繰り出す空中で分裂する魔法生物の動きなど見どころ自体は多い。しかし映画というのはアニメーションだけではなく、ストーリーや音楽、そして演出といった複合的なものだ。アニメーションが上手いだけでは成立しないのだ。
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