Shingo

クルエラのShingoのネタバレレビュー・内容・結末

クルエラ(2021年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

ワンデーパスポートでの鑑賞、2作目。こちらはファッション界の「表現者」が、己の存在を懸けて火花を散らす。

「101匹わんちゃん」のヴィラン、クルエラ・ド・ヴィルの誕生譚だが、それを知らなくても問題はない。なにより、本作のクルエラが将来、ダルメシアンの毛皮でコートを作ろうとするとは、とても思えないのだ。
美しき悪女にノッポとふとっちょの手下という組み合わせは、後に「ヤッターマン」のドロンジョ一味や「ナディア」のグランディス一味などに多大な影響を与えた定番中の定番。始まりにして至高というやつだ。三人の小悪党が、大悪党であるバロネスと仲良く喧嘩するお話として楽しめば十分。
もちろん、「101匹わんちゃん」へのリファレンスとしてダルメシアンも登場するが、それ以上に愛犬バディとチワワのウィンクが大活躍。これはもう半分、犬映画と言ってもいい気がする。犬好きは必見。

本作は、クルエラとバロネスがファッションショーで対決するのが見せ場であるが、めぼしい場面はほとんど予告で見せているのが残念。絵的に派手なのはそこだけなので、仕方ないことではあるが・・・・。
「プラダを着た悪魔」よろしく、鬼上司のバロネスとの対立に始まり、それが亡き母親にまつわる因縁、そして自身の出生の秘密へと繋がっていく。
最大の敵が、実は自分の肉親であったというのもまた、定番中の定番。クルエラ自身のキャラクターやバックグラウンドも、物語の展開すらも、すべてが「定番」と言っていい。だが、70年代という時代設定すらあえて無視するような自由奔放な演出で、観客を最後まで飽きさせない。

Netflixで人気を博した「クイーンズ・ギャンビット」と共通する筋立てでもある。幼くして孤児となり、己の才覚ひとつで、成功をつかんでいく。そして、最後はポーンがクイーンになる。彼女が心を許す女友達が、黒人である点、時代が60年代~70年代というのも共通している。ついでに、アニャ・テイラー・ジョイとエマ・ストーンは、目力がハンパないところも同じだ。
ディズニーの中では「マレフィセント」の系統に入るが、悲劇性は薄く、むしろコミカルでパンクですらある。

ファッション対決はあくまでカモフラージュ、本当の狙いはネックレスを盗み出すことだが、こちらの計画はけっこう適当。チワワに着ぐるみきせてネズミのフリとか、可愛すぎるやろ!そして髭面で女装しても秒でばれるだろ!
金ぴか衣装の宝石が、実は蛾のさなぎとわかった瞬間は、ちょっとゾワっとしてしまった。あれを一個一個、手縫いで縫い付けたんだ…何という執念。虫嫌いな人、集合体恐怖症の人は要注意。しかしあれ、金庫の鍵を壊しておく必要あったのかな。開けてくれないと、意味ないじゃんね。

この物語のテーマは、「異質なものは排除される」ということだろう。
クルエラは生まれつき白黒の髪の毛で、見た目もさることながら、性格的にも周囲と歩調を合わせることができない。からかってくる奴らが悪いというのもあるが、それだけであんなにスタンプが貯まるはずはない。
バロネスは、他人を利用し、自分さえよければそれでいいという生き方だが、それはファッション業界でトップでいるために必要なことだった。なぜなら、「異質なものは排除される」この世界で、勝ち残るにはそうするしかなかったから。だから、クルエラの能力を認めつつも、その地位を明け渡すことはできないのだ。

エステラは自身の特異性を隠し、普通を目指すが、バロネスが母の仇であると知ってその道を絶たれてしまう。クルエラに染まった彼女は、一見すると世間から賞賛され受け入れられているように見えるが、それは力づくで認めさせているに過ぎない。結局のところ、やっていることはバロネスと同じなのだ。
普通のふりをするか、実力でねじふせるか。二者択一をせまられた彼女はエステラを捨て、クルエラとして生きることを選ぶ。自分自身を殺し、別人として生まれ変わる。この世が「異質なものは排除」する限り、クルエラはヴィランとして生き続けるのだろう。すべてを力づくでねじふせながら。金と地位をも手に入れた彼女に、逆らえるものはもういない。
Shingo

Shingo