つのつの

アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダルのつのつののレビュー・感想・評価

4.3
【実話という名のFUCKサイン】

「ライバルの選手を襲撃した(唆した)フィギュアスケート選手のトーニャハーディングの半生を映画化」という本作の売りは、スケートへの関心の有無は関係なく興味を惹かれるものだと思う。しかしその点に本作の一番の毒があった。

マーティンスコセッシの映画を彷彿とさせるような編集テンポと選曲センスが素晴らしい本作だが、その内容自体はクズ人間同士の大言い訳大会だ。
児童虐待すれすれなスパルタ教育をする母親や、実際に事件を起こしたトーニャの兄やその友達(こいつやばすぎ)だけでなく事態の中心にいるトーニャまで含めて誰1人として、観客はこの人は「事実」を語っているのだという信頼を持つことはできない。
トーニャが夫のDVに苦しんでいた「事実」が語られたかと思いきや、トーニャが夫にライフルをぶっ放した「事実」が語られるのである。
という具合に真偽がとても曖昧ではるが、一応劇中でトーニャが語る「事実」が本当だとするならば彼女はとても悲惨な運命を歩んでいたことになる。

幼い頃から母親に厳しいスケート教育を受けさせられて同年代の友人も作れず、やっと出会った愛する人はDV男。
おまけに貧乏で育ちが悪いという彼女のイメージは、徹底した華やかさを求めるフィギュアスケート界にそぐわず審査員からも嫌われる。
スケートの試合の前は常に神経質そうにタバコを吸うのは、彼女の暗い人生の中で唯一自分をアピールできる場だったからではないだろうか。
しかしそれすらも狂気にも近い間抜けさを持つ人間たちにあっという間に破壊されてしまう。
スケートをする権利を生涯奪われた彼女が、真っ暗な部屋の中で夕食をするシーンの孤独といったらない。
それは金もコネも人脈もない彼女が、才能だけでハングリーにスケート業界をのし上がっていた頃に抱いた理想には絶対に現れることのない光景だったはずだ。

このようにトーニャの悲劇的な自伝を聞いてる観客は中盤で発せられる彼女の言葉に衝撃を受けるかもしれない。
彼女は画面の方を、観客の方をまっすぐに見つめて言う。
「あんたたちが私を苦しめる」と。
第四の壁を破る手法を取る映画は数あれど、ここまで観客を居心地悪くさせる使い方も珍しいのではないか。
彼女にとって、先述した通り下世話な好奇心を刺激されて本作を見に来た観客は、彼女が遭ってきた厳しい環境を知ろうともせずバッシングした当時の「その他大勢の人々」と変わらない。

何度も言う通り彼女の語る人生が果たしてそこまで悲惨だったのかは誰にもわからない。
しかし彼女が、良識や善意や道徳という言葉に好奇心を隠してトーニャハーディングを何となく批判していた人々に対して明確に怒りを抱いているのはどうやら「事実」のようだ。
だからこそ彼女は、思いの寄らぬトーニャの人生の悲惨さを知って自分の好奇心に後ろめたさを感じ「同情」という逃げ道に走ろうとする興味本位の観客の退路を断つのだ。

スケーターとしての人生を奪われボクサーに転身した彼女が血反吐と共に「事実」を吐き捨てることで本作はようやく幕を閉じる。
そこに至るまでの彼女のあまりにも過剰な感情移入の拒否ぶりには、どこか清々しさを覚えた。
結局「事実」が知りたいんじゃなくて、スキャンダルを楽しみたいだけの観客にとっておきにヘヴィーな「事実」をぶち撒けた彼女には
「道徳なんて知ったこっちゃねえ!私はトーニャだ!I, Tonya!FUCK OFF 」という強烈にも程がある自己主張が感じられる。
それをめくるめく編集で2時間も見せきる本作は炎上やバッシングを恐れて言いたいことを言えずにいるワックな現代日本人への、猛毒にも似た治療薬かもしれない。
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