オープニングからラストまでをぐいぐいと引っ張ってゆく、嘘のような本当の話。
トーニャ・ハーディングのスケーティングのような、物語の力強さに魅せられた。
皮肉とユーモアが人間味のあるドラマと融合していた脚本と演技。
センスある選曲と緩急のある編集。
趣向を凝らした演出と撮影。
映画のトリプルアクセルが見事に決まっていた。
高得点。
すごいなあ。
感動はもちろん、すっかり感心させられてしまったし、映画館で観れば良かったと、後悔もした。
演技の全てを成功させた試合だったにも関わらず、勝てなかった大会を終えた直後、会場の地下駐車場で車に乗った審査員に駆け寄り、低かった芸術点の不当さの理由を尋ねた時。
襲撃事件の裁判での判決直後、裁判官に「教育を受けていない私にはスケートしかないんです」と涙ながらに申し立てをした時。
人生を捧げてきたスケートへの、トーニャの必死さが胸に響いた。
愛情に飢えながら、貧困に耐えながら、子供の頃から必死の努力を重ねてきたのに、あんなにも不条理な形で一生の夢を壊されるだなんて。
モンスターな毒母と愚かな夫からのDVも酷かったが、破滅の元凶となったショーンはマジでやべえ奴すぎた。
「ビッグ・リボウスキ」のウォルター(誇大妄想家で行動力が抜群)と「バッファロー’66」のグーン(実家暮らしの童貞デブ)を足して二で割って、さらに十を掛けた感じというか、まるで上質なコントの為に作られたかのような、パンチの効いた強烈なキャラクター。
その誇大妄想家っぷりと4歩先をゆく謎の行動力には、何者でもない実際の彼とのギャップにより、いちいち笑わされてしまったし、映画の中の登場人物としては大好物だったけれど、トーニャにとってはまさに悪魔のような存在。
現実世界では絶対に関わりたくないし、もしも「馬鹿オリンピック」が存在するならば確実にトップアスリートとなるであろう、金メダル級の馬鹿。
エンドロールではショーン本人のインタビュー映像もあったが、あんな馬鹿が本当に実在するのだから驚いてしまう。
同じく、襲撃事件の実行犯となった男二人の馬鹿たちに関しても、お前らは映画「ファーゴ」の誘拐犯のモデルになった奴らなのか?とツッコミを入れたくなる。
トーニャがやっていたのがフィギュアスケートではなく、家庭環境や衣装などが採点に影響を及ぼすことなく、その選手の実力のみで戦って勝てるような、つまりタイムや距離のみで順位が決まるような競技スポーツだったら良かったのに。
今が幸せなら良いのかもしれないけれど。
ラストのボクシングの試合。
相手のパンチでダウンし、血を吐きながらも、再び立ち上がったトーニャ。
その生命力と闘志に、希望が感じられた。